0.ミクロ経済学とは何か? 〜資源分配問題〜

 ミクロ経済学とはどのような学問でしょうか?

 定義としては、ミクロ=微視的=一つ一つの経済主体に注目した議論をする経済学といえます。

 けれども、これではミクロ経済学を学ぶ意義がいまいちわかりません。

 ここではミクロ経済学が社会をよくする強力な共通言語であることを説明します。

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1、ミクロ経済学の問い

全人類共通の問題

 人生を豊かにするにはどうしたらいいでしょうか?

 社会がよりよい場所になるにはどうしたらいいでしょうか?

 全人類が共有する大問題です。

価値の問題

 この問題には無数の価値が絡んできます。

 平和、家族、おカネ、助け合い、、、

 もちろん、このような重要概念だけが価値ではありません。

 音楽、自動車、ネジ、ゴミ処理、、、

 そういった無数の価値が、人生と社会の豊かさを決めています。

「重要な価値は何か?」のワナ

 普通に考えれば、

  • 自分にとって大事なことは?
  • 人生の意味は?
  • 社会にとって重要なことは?

との問いが自然と出てくるでしょう。

 これは「何が重要な価値なのか?」という問いです。

 世の中ではよくこの議論がみられます。

 しかし、実はこの問いは価値観の相違を先鋭化させるので、悪手です

 日常的な例を出しましょう。

  • 男:自分の趣味であるゲームをやりたい
  • 女:彼女の私といるときはゲームをしてほしくない

 2つは両立できませんが、それぞれ筋が通っています。

 人は趣味も恋人との時間も大事にすべきだからです。

 どちらも「正しい」のですから、この対立は力関係で決まることになります。

 この対立構造は、多国間レベルであれ、国内レベルであれ、個人レベルであれ、極めて頻繁におこります。

 「重要な価値は何か?」は多様性を許容する考え方ではないのです。

効率的な資源配分問題へ

 では、どのように考えれば多様性を考えることができるのでしょうか?

 問題設定を「価値をどのように生成し、どのように社会に行き渡らさせるべきか?」に変えるのです。

 ここでは「重要な価値は何か」を出発点にしません。

 だからこそ、お互いが納得できる可能性を探れるのです。

 この捉え方を経済学では効率的な資源配分問題と言います。

 ミクロ経済学では、このように世界を見ているのです。

2、ミクロ経済学の考え方

資源配分問題は2つに分けられる

 効率的な資源配分問題はどのように解いたらいいでしょうか?

 この問題は2つに分けることができます。

  • 効率的な資源配分とはなにか?
  • どう実現するか?

です。

効率的な資源配分とは?

 効率的な資源配分とは、お互いが最大限に得するような状態です。

 多様な価値観ではモノの価値は一意に定まりません。

 人によって違うのです。

 逆に言えば、交換によってお互いが得する可能性が生まれるのです。

 例えば、

  • 子どもはおもちゃが欲しい。そして、肩叩きは嫌じゃない
  • 父親は肩叩きをして欲しい。そして、おもちゃを買い与えるのは可能

というとき、両者の価値観が異なるがゆえに協力が起こり得ます。

 子どもはおもちゃという価値を、父親は肩叩きという価値をゲットできます。

 これが効率的な資源配分の解です。

交渉の限界

 交渉で効率的な資源配分は実現することができます。

 けれども、これには欲望の二重の一致が必要になります。

  • 子どもの欲しいもの=おもちゃ=父親が与えられるもの
  • 父親が欲しいもの=肩たたき=子どもが与えられるもの

は欲望の二重の一致になります。

 いわば、1人が消費者であり生産者であることが求められるのです。

 子どもは肩たたきの生産者であり、おもちゃの消費者です。

 このように交渉が成立する条件が欲望の二重の一致になりますが、これは厳しい制約条件です。

 可愛い女の子は、野郎どもの声援だけでアイドルのパフォーマンスをしてくれるのでしょうか?

 ここに欲望の二重の一致が成立していないことは明らかでしょう。

 そして、世の中の多くの取引でも同じことが言えます。

市場経済の成功

 ミクロ経済学はここで「市場経済」が強力な解決手段として提示します。

 その際に、両者の間で成立する価値尺度財を導入することで、円滑に交渉ができるのです。

 ここでは、人は消費者か生産者かの立場を選べ、交渉は極めて単純化されます。

 消費者は欲望達成の対価を提示します。

 生産者は価値生成の対価を提示します。

 そして、両者が釣り合ったときに資源配分問題に解が与えられます。

 これを市場均衡といいます。

 ミクロ経済学的では、ある条件下で、この市場均衡は効率的な資源配分を達成することがわかっています。

 これらを学ぶことが、ミクロ経済学であるのです。

市場の失敗

 さらに、ここでは終わりません。

 市場の失敗も同じ論理の延長で論じることができます。

 例えば

  • 貧富の格差

 市場均衡ではお互いの交渉力を前提に効率的な資源配分が実現されます。

 逆に言えば、交渉力に差があれば公平な結果はもたらされません。

 市場経済に完全に任せるわけにはいかないのです。

  • 環境問題の発生

 市場均衡では消費者と生産者の論理で効率的な資源配分が実現されます。

 逆に言えば、第三者が損することは考慮できません。

 この結果、環境問題や公害などの「資本主義の弊害」が発生します。

  • 研究開発や教育の保護

 研究開発や教育も第三者に影響を与えます。

 こちらは「第三者の得」ですから、環境問題と対照的です。

 しかしメカニズムとしては同じで、市場経済一辺倒ではいけないとの結論が導けます。

  • 平和や治安

 平和や治安は誰かが守らなくてはいけません。

 しかし、誰かが守ってくれれば、市民はお金を払わなくても平和な街で暮らせます。

 この種の公共財は市場経済によって適切に供給されません。

 なんらかのシステムが必要になります。

 

などが「市場の失敗」の例になります。

 市場の成功と失敗が同時に論じられるのは、もともとの問題設定が「効率的な資源配分問題」だからです。

 ここには「資本主義の礼賛」は含まれていません。

3、ミクロ経済学は共通言語たりえる

 今まで見てきたように、ミクロ経済学は「人生を豊かにするには?」「社会を豊かにするには?」に非常に明快に答えることができます。

 価値観の多様性を前提に「効率的な資源配分問題」を打ち出します。

 その強力な解決策として市場経済を導きます。

 一方で、同じ論理の延長で、市場経済の限界を明らかにします。

 この思考法は、すべての人びとが豊かに生きるための共通言語たりえると、当ブログ管理人は考えます。

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