北京の歴史/ 中国の首都

都市
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 紀元前から紀元後1000年ごろまでの中国の都は、長江中流域か中国南部に存在しました。

 しかし、1271年より、モンゴルが世界に冠たる貿易都市・大都と改称し都にします。こうして、北京は古来の都(西安や洛陽)から首都の座を奪ったのです。

 ただ、北京は古くから北方の拠点でしたので、そこから北京の歴史を追っていきます。

  • 紀元前11世紀
    燕の建国

     当時は周王朝の時代である。周の建国に関わった召公奭が、燕を建国した。

     成王のときに、薊に遷都。この北平が今の北京になる。

  • 戦国時代
    燕の勃興

     遼東半島まで支配領域を広げた。山東半島の済と覇を競った。 

     故事「隗より始めよ」の国でもある

    昭王「どうしたら優秀な人を集められるだろうか?」

    郭隗「私を重用なさい。そうすれば、『あの郭隗ごときですら徴用されたのだから、優秀な私が重用されないわけがない』と多くの優秀な者がきます」

     実際に優秀なものが集まったという。

  • 紀元前222年
    秦、燕を滅ぼす

     秦王の政は燕を滅ぼした。翌年、政は中国を史上初めて統一し、始皇帝となった。

  • 秦・漢代
    北方の拠点

     北平と名が改められた。

     高句麗が強国化すると、北方警備・交易の拠点となった。

  • 大運河が近くまで繋がる

     北京に隣接する河北省涿郡に、大運河の起点が設けられた。豊かな南部と乾燥した北部を繋いだため、意義は非常に大きかった。

  • 936年
    異民族の遼に支配される

     契丹人の遼が南下し、この地域一体を「燕雲16州」として獲得。北京を副都「南京」と名付けて統治した。

  • 1125年
    異民族の金に支配される

     満州族の金が、この地を獲得。「中都」と名付けて統治した。

  • 1215年
    異民族のモンゴルに支配される

     モンゴルが攻め落とし、モンゴル帝国東部の統治拠点とした。

  • 1271年
    元の首都となる 〜ユーラシア帝国の都へ〜

     フビライは元に王朝名を変更。その際に、この地を「大都」とした。世界帝国となった元の首都として、世界貿易の中心地になることが期待された。

     驚くべきは積水潭と呼ばれる人口湖が作られ、海から150キロ離れた大都と海運が結合したことである。

     このことで、大都は空前の大繁栄を遂げた。

  • 1368年
    元、大都を放棄

     農民反乱や内紛で統治能力・軍事力を失った元の皇帝・順帝は大都を放棄。北へ逃げた。

     この年、明王朝が南京にて成立した。明は「大都」を「北平」と改称した。

  • 1370年
    朱棣が燕王に任ぜられる

     明の創始者・洪武帝の四男である朱棣が燕王に任ぜられた。

  • 1421年
    北京が首都となる

     1402年、朱棣が反乱を起こし、三代目皇帝に就任。永楽帝となる。1421年、永楽帝は明の都を北京に移した。

    紫禁城(故宮のこと)(wiki)

     この時、紫禁城が建造された。

  • その後
    北京は安定的に中国の首都であり続けた

     北京は、明・清・中華人民共和国と変わらぬ首都であり続けた。

     ただし、中華民国政府(台湾)は公式には南京を首都としており、北京を「北平」と呼んでいる。台湾の実質的首都は台北である。

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