イギリスの歴史まとめ/人類躍進の震源地【受験世界史の地図】

西洋史

0. イギリスのキホン

ここだけ読めば、大体のことはわかります!

イギリスとは?

 イギリスとは、ヨーロッパ大陸の西にあるグレートブリテン島に首都をおく島国。首都はロンドン。言葉は英語

正式名称と略称

 イギリスの正式名称は、「グレートブリテン島及び北アイルランド連合王国」。原語では、「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」と言う。

 日本語で「」、英語では「UK」と略される。オリンピックでも使われる国名コードは、「GBR」。

「イギリス」と呼ばれる連合王国

 イギリスは、4つの「国(coutry)」で構成される連合王国。

  • イングランド:イギリス最大の国。首都ロンドンの所在地。
  • スコットランド:イギリス第二の国。1707年までイングランドから独立していた。
  • ウェールズ:イングランド西部にある国。
  • 北アイルランド:アイルランド島北部にある国。

 日本での「イギリス」という呼称は、最大の国イングランドに由来する。

ヨーロッパとの関係

 地球規模で眺めると、イギリスはヨーロッパに含まれる。

 しかし、ヨーロッパ規模で眺めると状況は異なる。日本と同じく、大陸と海で隔った島国であり、大陸とは独立しているという意識を持つ。

 それは、チャーチル元首相(1941~45, 1951~55年)の言葉に象徴される。

イギリス人には我々自身の夢と我々自身の責務がある。イギリスはヨーロッパと共にあるが、ヨーロッパの一部ではない。

(参照:ブリタニカ百科事典

大英帝国

 イギリスはかつて大英帝国と呼ばれた。

 大英帝国は「日の沈まない国」とも呼ばれ、全世界に植民地を展開した。旧植民地は、アメリカ合衆国、インド、カナダ、オーストラリア、南アフリカ共和国、香港などである。

 英語は、現在、第一の国際言語である。

産業革命

 イギリスが大英帝国を築いた原因は、イギリス産業革命(1760~1840年)にある。産業革命とは、経済の主軸が農業から製造業に移行した経済変動である。

 産業革命は、ホモ=サピエンス20万年史の中で、1万年前の農業革命と並ぶ大変革とみなされている。ホモ=サピエンスの個体数は、ここ200年で7倍になった。

歴史の流れ

紀元前、ケルト人が住んでいた。前43年、イタリアから来た古代ローマ軍が到着。400年間支配した。

6世紀までに、ドイツからアングロ=サクソン人が侵入。7つの王国を築きいた。

900年代から1400年代まで、イングランドは海外由来の王に支配された。はじめは北欧の海賊、次はフランスの貴族だった。1485年になって、グレートブリテン島出身の王が即位した。

1800年代には、イギリスは強勢を誇るようになり、大英帝国を築く。しかし、二つの世界大戦で、イギリス本国は疲弊し、植民地を手放すことになった。

 現在、イギリスは、ニューヨーク・東京と並ぶ金融街ロンドンを抱える。世界中に張り巡らされた情報網は健在で、BBCやロイター通信は世界的な報道機関だ。

 文化的影響力も絶大だ。イギリス最大の輸出品英語は世界中で使用されていて、大きな存在感を持つ。

 イギリスの音楽も全世界的な人気を誇る。伝説と化したバンドには、ビートルズ、クイーン、レッドツェッペリンがある。

それでは、世界史を学ぶ上で大切なイギリスの「通史の全ポイント」簡単に押さえよう!

※同時期に日本はどうであったかは、緑の帯内で説明します。

1. 先史時代:巨人

紀元前2000年:ストーンヘンジの時代

イギリスの歴史 ストーンヘンジ イラスト

 紀元前2000年以前、巨石が整然と立てられた。巨石群ストーンヘンジだ。巨人が建てたらしい。

2. 古代:ローマ帝国

ローマ帝国の支配

イギリスの歴史 ブリタンニア属州 地図

紀元前1世紀、イタリアの国民的英雄カエサルがやってきた。ローマによるガリア遠征だ。その後、ブリテン島南部はローマのブリタンニア属州となる。

 ちなみに、ロンドンは、この時代にローマ人によって建設された。

350年ごろ:ヤマト王権の統一

ブリタンニア属州放棄

 平家物語にある「諸行無常」「盛者必衰」とは普遍的なもの。

 4世紀末、ローマ帝国は弱体化していた。ローマ帝国は、409年、ブリタンニア属州を放棄する。

3. 5世紀〜:アングロ=サクソン

5世紀ごろ:七王国

イギリスの歴史 アングロ=サクソン人の侵入 地図

 ブリテン島にやってきたのは、アングロ=サクソン人(ゲルマン人の一種)だ。

 アングロ=サクソン人は七王国を建国する。

 ちなみに、原住民族側として戦った王がアーサー王。聖剣エクスカリバーの持ち主だ。

600年ごろ:カトリック化

12世紀に建てられたカンタベリ大聖堂

 600年ごろ、ブリテン島にカトリックが布教された。イングランドもカトリックを基盤とする中世西欧の仲間入りとなる。カンタベリ大司教が設置された。

 ちなみに、日本へ儒教が伝来したのは513年。仏教は538年だ。大陸由来と時期の点で似ている。

607年:聖徳太子の時代。法隆寺が建設

4. 9世紀〜:海賊

9世紀前半:イングランドの統一

イギリスの歴史 七王国(ヘプターキー) 地図

 食べ放題を意味する和製英語バイキングだが、もともとは北欧の海賊集団。

 9世紀は、バイキングが活発だった時期。島国イングランドもその餌食となる。

けれど、共通の敵は、人をまとめるもの。バイキングに立ち向かうために、七王国はイングランド王国として統一される。

887年:藤原家の摂関政治のはじめ

11世紀前半:デーン朝

 しかし、1016年、イングランドはバイキングの支配下に入る。これをデーン朝という。

 デーン朝の王はデンマーク・ノルウェーも支配する北海帝国を築いた。ただし、たった20年で滅亡した。

 バイキングの王国を描いて、供養しよう。

ノルマン人の国々(北海帝国) 地図

5. 11世紀〜:フランスの貴族

11世紀後半:ノルマン朝

イギリスの歴史 ノルマン朝 地図

 デーン朝崩壊後、アングロ=サクソン人の王国が復活した。エドワード懺悔王は、ウェストミンスターに宮殿を建てた。1852年に再建されたウェストミンスター宮殿は現在、国会議事堂になっている。

ウェストミンスター宮殿

 しかし、1066年、フランス出身の地方貴族に征服されてしまう。ノルマン=コンクェストだ。だから、ノルマン朝の支配領域は英仏にまたがった。

 

 このとき、フランスの文化がイギリスに流れ込んだ

1086年:白河上皇の院政開始=平安時代末期

12~13世紀:プランタジネット朝

イギリスの歴史 プランタジネット朝 アンジュー帝国 地図

 ノルマン朝が断絶すると、1154年、アンジュー伯アンリがプランタジネット朝を創始した。広大な領土は後世にアンジュー帝国と呼ばれた。

 この時期に、オックスフォード大学が形成されはじめた。

オックスフォード大学

1215年:教皇とフランス国王に負けたジョン王は、マグナ=カルタを制定した。マグナ=カルタはイギリス憲法の始まりとされる。

ウェールズの征服

1282年、プランタジネット朝エドワード1世はウェールズを征服した。

1192年:鎌倉幕府が開かれる

8. 14~15世紀:貴族の没落

1337~1453年:英仏百年戦争

 イングランド王がフランス王位継承権を主張し、フランスと戦った。英仏百年戦争だ。

 結果、イングランドは敗北。大陸領を失い、現在の英仏国境とほぼ同じになった。

 ちなみに、みんな大好きジャンヌ=ダルクは、フランス国王を救った英雄。異端審問にかけてジャンヌ=ダルクを処刑したのはイギリス側。

アングル『シャルル7世戴冠式のジャンヌ・ダルク』1854年

1445~85年:バラ戦争

 英仏百年戦争後、世界一おしゃれな名前の王位継承戦争「バラ戦争」が勃発。

 結果、ウェールズの血を引く、テューダー朝が創始される。

1462年:応仁の乱が勃発。戦国時代が始まる。

9. 16世紀:絶対王政

1485~1603年:テューダー朝

 英仏百年戦争・バラ戦争の結果、イングランドの貴族が自滅した。王が強い絶対王政の始まりだ。

イギリス宗教革命

クレーフェ『1531年のヘンリ8世』、1531年

 2代目ヘンリ8世は、子宝に恵まれなかった。そこでカトリック教義を完全に無視し、離婚しようとした。当然、カトリックのトップであるローマ教皇と対立。

 そこで、奇想天外な作戦を思いつく。「カトリックがダメなら、新しく宗教を作ればいいじゃない!」

1534年、イギリス独自のキリスト教であるイギリス国教会を創設した。

処女の女王

 テューダー朝は処女王によって断絶する。エリザベス女王は生涯未婚で後継ぎを生まなかったのだ。

 シェイクスピアが活躍したイギリス=ルネサンスはこの時期。

 ちなみに、エリザベス女王に愛人はいたので処女ではない。アメリカのヴァージニア州は、ヴァージンクイーンの愛人が作った。

10. 17世紀:革命

1603〜1714年:ステュアート朝

イギリスの歴史 ステュアート朝の地図

 1603年、スコットランド王家の血を引くジェームズ1世が即位し、ステュアート朝が成立する。

スコットランドの首都エディンバラ

1603年:徳川幕府が開かれる。

18世紀:イギリス革命

 国王と議会の間で対立が激化。1642~49年のピューリタン革命、1689年の名誉革命が勃発。

 議会が王権を制限する立憲君主制が成立した。

1641年:鎖国の完成:オランダ人を出島に移した

11. 18~19世紀:大英帝国

1689~1815年:英仏植民地戦争

 イギリスとフランスは、世界の覇権を巡って英仏植民地戦争を繰り広げた。第二次英仏百年戦争とも言われる。今回はイギリスが勝利した。

 アメリカが独立する失敗もあったが、植民地は西はカナダ、南はアフリカ、東はインドに広がった。

グレートブリテン島情勢

イギリスの歴史 スコットランド合同 アイルランド併合 地図

  ブリテン島情勢にも歴史的な変化が起きる。1707年にイングランドとスコットランドが合同し、グレートブリテン王国が成立した。

 また、1801年にアイルランドが併合され、グレートブリテン島およびアイルランド連合王国が誕生した。 

1700年代後半〜:産業革命

ロンドン万国博覧会の水晶宮

 綿織物工業にイノベーションが訪れる。産業革命だ。

 糸と布の生産を効率したイギリス工業は大躍進を遂げ、富を蓄えた。

 1800年代にはイギリスは「世界の工場」と呼ばれた。1851年の第一回ロンドン万国博覧会では、全面ガラスの水晶宮を建造。世界にイギリスの科学力と富を見せつけた。

1800年代:大英帝国

 時代は19世紀前半。フランス革命とナポレオン戦争によって、ヨーロッパ全土は混乱期にあった。自由主義と民族自立の高揚に、伝統的な王家は手を焼いていた。

バッキンガム宮殿

 一方で、100年先に革命の時代を終えたイギリスは、海外進出と国政の充実に専念し大英帝国を築き上げた。

 下の赤い地域は、イギリスの植民地だった国や地域だ。英国国旗ユニオンジャックが全世界にひるがえっていた。

 この時代を「イギリスによる平和」、パックス=ブリタニカという。イギリス君主はヴィクトリア女王。バッキンガム宮殿に住むようになった。

イギリスの歴史 大英帝国の植民地 地図

1863年:薩英戦争

1867年:大政奉還・王政復古

1868年:明治新政府誕生

12. 20世紀:帝国の落日

覇権の失墜

 1800年代後半になると、イギリス以外の国でも産業革命が起きた。

 アメリカとドイツだ。1870年代以降、重化学工業が急速に発展したアメリカとドイツに、イギリスはGDPを抜かれた。

 産業力をつけた欧米列強は、競って世界を植民地化した。帝国主義の時代だ。そして、帝国主義は二度の世界大戦を生んだ。

 世界大戦が終わったとき、欧米列強の世界の覇権はアメリカとソ連に渡っていた。イデオロギーと核兵器の時代だ。

第二次世界大戦前夜のロンドンを飛ぶピーター○ン

大英帝国の終焉

 また、1947年のインド独立を機に、植民地は独立を開始。徐々に、広大な植民地を失った

 アイルランドも1922年に独立を認められた。北アイルランドはイギリス領のままとなり、北アイルランド紛争の火種となった。

イギリスの歴史 グレートブリテン島及び北アイルランド連合王国

ヨーロッパ統合への反発

現在のロンドン

 ヨーロッパ統合でも、フランスに遅れをとった。

 1950年にフランス外相のシューマン宣言を皮切りに、地域共同体が設立。イギリスはその23年後、1973年にヨーロッパ共同体(EUの前身)加盟した。

 しかし、国境の移動が自由なEUに加盟していれば、中東からの難民が押し寄せるとして2016年イギリスはEUを離脱を決定した。ブレグジットである。

1960年代:高度経済成長期

1979年:ジャパン・アズ・ナンバーワン出版

1990年代前半:バブル崩壊

タイトルとURLをコピーしました