デリーの歴史まとめ/インドのイスラーム国家の古都

東洋史
この記事は約3分で読めます。
広告

 デリーは12世紀に建設された都市ですが、インドの都として長い間特別な地位にあります。

 インドの首都はデリーかニューデリーか問題についてですが、外務省のサイトは「ニューデリー派」で、教科書は「デリー派」で、首都をどちらにするかは派閥があります。

 ただ、「デリーとニューデリー」は「東京都と千代田区」に相当する関係で、デリーが首都としてしまって問題ありません。

デリーの歴史
  • 12世紀
    デリー建設

     チャウハーン朝がデリーを首都として建設した。

  • 1192年
    ゴール朝による征服

     イスラーム政権のゴール朝が征服した。アイバクがクトゥブミナールを建設した。

    広告
  • 1206年〜
    デリー=スルタン5王朝の首都に

     アイバクが奴隷王朝を創始。以降、イスラーム政権でデリーに都をおいた王朝をデリー=スルタン朝という。

  • 1526年
    ムガル帝国創始

     バーブルはムガル帝国(都・アグラ)を創始。

    フマユーン廟(wiki)

     息子のフマユーンは都をデリーに移した。

     しかし、次のアクバルは都をアグラに戻し、デリーは荒廃した。

  • 1648年
    ムガルの首都へ 〜オールドデリー〜
    シャージャハーンの居城・デリー城(wiki)

     ムガル皇帝シャージャハーンが都をデリーに戻し、再建した。「オールドデリー」とはこの時に建設された区域のことである。

  • アグラかデリーが都の時期
  • 1707年〜
    ムガルのデリー政権化

     アウラングゼーブの死後、ムガル帝国は急速に衰退。支配領域がデリー近辺にしか及ばなくなったので、必然的に都はデリーに固定された。

  • 1771年
    マラーター王国の勢力下に入る
    広告
  • 1803年
    イギリスが支配下に入る

     第二次マラーター戦争に勝ったイギリスがデリーの支配権を獲得した。

  • 1858年
    ムガル帝国の滅亡
    降伏するムガル皇帝(wiki)

     1857年にインド大反乱が勃発。しかし、イギリスが制圧に成功。この時ムガル皇帝がビルマに亡命したことで、実質的にすでに滅んでいたムガル帝国は完全に滅亡した。

  • パンシャーブの地方都市へ

     ムガル滅亡により600年以上担ってきたイスラーム政権の首都から、パンシャーブの一地方都市に転落した。

  • 19世紀末
    交通・流通の結節点として成長

     イギリス統治下で鉄道が敷かれ、交通・流通の結節点として再び栄え始めた。

    広告
  • 1911年
    イギリス領インドの首都へ 〜ニューデリー〜

     イギリス領インドの首都・コルカタが ベンガル分割令で政治的に急進化。もともと、コルカタは東に寄りすぎていたのもあって、イギリスは新首都計画を立案。

     ニューデリーが建設され、インドの暫定首都となった。

  • 1931年
    正式に首都に

  • 1947年
    インド独立

     イギリス時代を同じく、デリーを首都とした。

  • 2000年代
    インド第二の都市へ

     産業の発展により急成長し、人口がコルカタを抜いて、インド第二位の都市になった。第一位はムンバイである。

  • 2005年
    世界最大のヒンドゥー教寺院完成

     BAPSスワーミーナーラーヤン教の教祖が構想。二代目が計画を実行したアークシャルダーム寺院が完成した。

     2007年、世界最大のヒンドゥー教寺院としてギネスブックに認定された。

タイトルとURLをコピーしました