3分でわかる東アジア史の流れ&地理

地域史の流れ
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東アジア史が秒でわかります。

<地域史の流れ&地理シリーズ>

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受験世界史の地図

1、東アジアの地理

 人間が平等であれば、歴史は人ではなく土地が決定する。なら、地理を学ぶことは重要であるということに同意いただけるだろう。

 さて、まず、東アジアの地理である。

中国大陸の範囲

中国の地理

 これは東アジアをグアム上空から眺めた地図である。手前には緑が広がる。この緑の部分に漢民族が住んでいる。

 文明には農業が必要で、農業には川が必要である。中国大陸には長江黄河の二大河川が流れている。

 中国四大古都も川に関係している。長安・洛陽は、黄河流域にあり、南京は長江に面している。北京には、黄河に繋がる運河が引かれている。

北方の砂漠

 北に行くと、砂漠地帯が待ち受けていて、砂漠には草原の道が何本か走っている。このために、中国の仮想敵はこの道を通ってやってくる北方の遊牧民族であった。

西方の山岳地帯

 西には高いチベット高原がそびえ立つ。チベット高原の南にはヒマラヤ山脈とエベレストがあり、さらに南に行けばインドがある。

太平洋側

 中国大陸の横に、ちょこんと朝鮮半島がついており、沖に日本列島沖縄台湾が浮かんでいる。太平洋沿岸沿いに南へ行けばベトナムにつながっている。

日本列島と沖縄

 逆に、中国大陸目線で見てみれば、海に出る上で、日本列島と沖縄は邪魔くさいことこの上ない。

2、東アジアの歴史まとめ

中国の地理

先史時代

 数千年前、黄河文明長江文明が勃興した。やがて、黄河流域の国々が長江流域を支配下におくようになる。

古代〜中世

  • 前221年〜前206年
    初代中国統一王朝:秦
    2200年前の中国の初代統一王朝

 前221年、中国大陸で統一王朝・が誕生。すぐに滅びたが、次の王朝が400年ほど継続し、「漢民族」のアイデンティティを作った。

 中国の首都は多くの時代、世界最大の都市であった。ちなみに、1820年の中国の推計GDPは世界の32%に達し、2位のインドに16%の差をつけてダントツの一位である。当時、大英帝国のイギリス本国GDPは、中国の6分の1に過ぎない。(マディソン)

 モンゴル高原の遊牧民族とは、対立関係にあった。遊牧民族は少人数ながらも馬の機動力を生かした軍事力があったからだ。漢民族は、時に北方の遊牧民族を征服し、時に征服された。

北方との関係性の例
  • 700年代
    異民族を支配した唐
  • 1271〜1368年
    異民族モンゴルが支配した元
    13世紀のモンゴル帝国

 一方で、チベット高原・朝鮮半島・日本列島の国家は概ね独立を維持した。

近代

 近代に入ると、中国は欧米による半植民地化の波にのまれた。北方を闊歩していた遊牧民に代わって、ロシアが登場した。

 中国がイギリスに敗北したのを見て、日本では260年続いた江戸幕府が滅亡。明治政府が樹立され、近代化を推進した。この明治維新後、日本は急速に国力を増強。朝鮮・台湾を飲み込んだ。

 日本は、15年戦争で中国進出・東南アジア進出を目論み、一瞬、東アジア全域に勢力を伸ばしたが、アメリカによって失敗させられた。日本は、アジアに現在もくすぶる遺恨を残した。

 戦後、東アジアは、日本・韓国・中国の順に国力を回復していった。

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