ギリシア建築の代表作3つを解説します。パルテノン神殿とゼウス神殿に関しては、建築後の歴史も解説しました。興味のない方は飛ばしてください。
1、ギリシア建築とは
ギリシア建築は、ヨーロッパの古典と呼ばれる建築です。2500年以上前の建築です。
「世界最古の木造建築」の法隆寺の1000年前に建てられたものです。そして、ギリシアの建築はヨーロッパや世界に大きな影響を与えました。なんなら、法隆寺の柱にもギリシア様式が見られます。
さて、受験生としては、次の柱を見分けられるようになりましょう。
- ドーリア式:荘厳。柱の上部が質素。
- イオニア式:優美。柱の上部がクルンと巻いている。
- コリント式:繊細。柱の上部に複雑な飾りがついている。
ドーリア式が最も古く、コリント式が最新。
絵を見せてもいいのですが、せっかくなので実物でみましょう。
ローマ帝国のコロッセオを見るとよくわかります。実は、第一層(下)がドーリア式、第二層がイオニア式、第三層(上)がコリント式の様式となってます。

2、パルテノン神殿

名称:パルテノン神殿
場所:ギリシア・アテネ
様式:ドーリア式
評価:ギリシア建築の最高傑作と言われる。
- 古パルテノン建設
- 前480年ペルシア戦争で破壊
アケメネス朝の地図(しまうま, 2019, ○) 民主政へと歩みつつあるギリシアと、東方的専制君主政のペルシアの戦い「ペルシア戦争」で、破壊される。
- 前454年デロス同盟の金庫がアテネに
前478年、ペルシアに対抗するために、ギリシア都市国家同盟が作られる。
アテネが影響力を強め、前454年、デロス同盟の金庫はアテネに置かれる。
このときのギリシア情勢をアテネ帝国と呼ぶ。
- 前447〜前432年パルテノン神殿再建
ギリシアで民主政を完成させたペリクレスが再建を命じ、フェイディアスが設計した。
アテネ全盛期のシンボルとなった。
- 前431年〜ペロポネソス戦争
アテネ帝国と化したデロス同盟に、スパルタが反旗を翻し、ギリシア都市国家間戦争「ペロポネソス戦争」が勃発。
ギリシアは衰退する。
- 6世紀キリスト教化「マリア聖堂」
5世紀の東ローマ帝国の地図(しまうま, 2019, ○) 東ローマ帝国のキリスト教(ギリシア正教)が、ここをキリスト教の神殿とした。
- 1460年代イスラーム教化
15世紀のオリエント地図(しまうま, 2019) 東ローマ帝国を滅ぼしたオスマン帝国がイスラーム教のモスクとした。
- 1687年9月26日パルテノン神殿爆発
ヴェネツィアがオスマン帝国との戦闘の中で、パルテノン神殿を砲撃。
オスマン帝国はパルテノン神殿を弾薬庫としていたので、爆発した。
こうして、パルテノン神殿は破壊された。
- 1801~4年彫刻品奪われる
イギリスのオスマン帝国駐在使がパルテノン神殿の彫刻品を切り取った。
- 1816年彫刻品は大英博物館に売却される
彫刻品は大英博物館に売られた。
- 現在ギリシアが彫刻品の返還を求めている
ギリシアは返還を求めているが、大英博物館は拒否している。
3、エレクティオン神殿

名称:エレクティオン神殿
様式:イオニア式
竣工:紀元前421年 〜 紀元前407年
特徴:カリアティッドの玄関:柱として、6体の少女の彫刻が使われている。
4、ゼウス神殿

名称:ゼウス神殿
様式:コリント式
- 前550年建設指示
僭主ペイシストラトスが建築を指示したのが始まり。しかし、すぐに中断された。
- 300年間放置
- 前174年建設再開
前200年ごろのセレウコス朝地図(しまうま, 2019, ○) セレウコス朝で建設が再開された。ドーリア式からコリント式に変更された。
しかし、王の死により中断された。
- 前80年ごろローマに建材として使用
ローマの独裁官スラがユピテル神殿のための建材として、ゼウス神殿を利用。大きく破壊された。
※ユピテル=ローマ神話の主神。英語ではジュピター。
- 0年ごろ〜132年建設再開
1~2世紀のユーラシア全図(しまうま, 2019, ○) ローマ初代皇帝アウグストゥス が建設を再開し、五賢帝ハドリアヌス帝の時に完成した。
- 5〜6世紀ゼウス神殿は建材として利用
東ローマ帝国の下、キリスト教会の建材として利用され、破壊された。
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