広州の歴史/ 世界的な貿易港

都市
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 広州は、千年以上前から中国海上貿易の拠点でした。香港やマカオや深圳も広州の周辺都市です。そして、中国の広州の歴史をみてみると、中国の海上貿易の歴史がわかってしまいます。

広州の歴史
  • 始まり
    羊にのった仙人

     伝説によると、建設初期の広州に、道教の仙人がきて米の栽培方法を教えた。その仙人が乗っていた羊にちなんで、広州は今でも「羊城」と呼ばれる。

     城は中国語で「都市」の意味。

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  • 戦国時代
    百越

     中華民族とは異なる百越がこの地を支配していた。

  • 紀元前220年頃
    始皇帝(wiki)

    中国を史上初めて統一した始皇帝が、百越を滅ぼし、南海郡をおいた。

  • 秦滅亡後〜
    南越

     秦滅亡に伴い、趙陀が南越国を建国。中華民族から独立した。

  • 紀元前111年
    漢の支配

    前漢の武帝が南越を滅ぼして、再び南海郡となった。

  • 中国の貿易港として発展

     中国の海上貿易の要へと成長。

  • 741年
    唐:市舶司おかれる

     国際貿易に熱心な唐は、広州に貿易の役所である市舶司をおいた。

     結果、イスラーム教徒、ユダヤ人、ゾロアスター教徒といった外国人もいる国際色豊かな一大貿易都市へと成長を遂げた。彼らは蕃坊と呼ばれる外国人居住地に住んだ。

  • 878年
    黄巣の乱で破壊される

     唐を実質的に滅ぼした黄巣の乱で、広州は破壊された。結果、ムスリム商人の活動領域がマレーシアに後退した。一方で、中国商人が東南アジアに進出した。

  • 宋代
    衰退

     南宋では泉州が貿易の中心となり、広州は衰退した。

  • 元代
    マルコ=ポーロ来航
    コロンブスのメモがある『東方見聞録』(wiki)

     『東方見聞録』を執筆することになるマルコ=ポーロが来航。「カンフー」として紹介した。このとき、泉州が「世界一の港」とされた。

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  • 明代
    海禁政策

     明は、倭寇対策のために貿易を厳しく制限した。

  • 1557年
    マカオにポルトガル人の居住が許可

     明は、ポルトガル人に広州南方のマカオ居住を許可した。広州の同業者組合「七十二行」は活発に活動していた。

  • 清代初期
    海禁政策

     清は、「反清復明」を訴える鄭氏台湾を弱体化させるために、極めて厳しい海禁政策をとった。

  • 1685年
    海禁の緩和

     清が1683年に鄭氏台湾を滅ぼすと、海禁を緩和。広州など4港に海関をおいて海上貿易をスタートした。

  • 18世紀
    中国経済の大発展

     活発な貿易で、中国経済は大発展。人口も1億数千万人から3億人に増大した。

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  • 1757年
    海禁政策で広州一港に貿易が制限

     清の乾隆帝(清の最盛期の皇帝)が貿易管理のため、貿易を広州に制限。また、貿易商人を広東十三行に限定した。

     自由貿易を拒絶した。外国人商人は「カントン・システム」と呼び、嫌った。

  • 18世紀中盤
    イギリス産業革命

     イギリスはこの頃、軽工業分野で産業革命を達成。中国との自由貿易を求めたが、清は「朝貢貿易」にこだわった。

     朝貢貿易を受け入れることは、イギリス国王が中国皇帝より下位に位置付けられることであり、イギリス人との交渉は決裂した。

  • 1840年
    アヘン戦争 
    中国船が爆沈する場面 奥にイギリスの蒸気船あり(wiki)

     巨額の貿易赤字を抱えるイギリスはアヘンの密貿易を開始。清の対抗政策を理由に、アヘン戦争を開始。

     清は敗北の代償として、広州以外の港の開港を認めた。

     また、広州に近い香港島をイギリスに永久割譲した。

  • 1912年
    清の滅亡

     孫文が辛亥革命を起こし、清朝を打破した。その際、何度も広州は運動の舞台となった。

  • 1938年~1945年
    日本軍が占領

     1937年、日中戦争が勃発した。その中で、イギリス植民地の香港が隣接する貿易港・広州は、中国に対する海外総補給量の8割が経由していた。

     そこで、1938年、日本軍は攻略を決定。1ヶ月程度で陥落させた。

  • 戦後
    貿易港として発展

     イギリスの香港、ポルトガルのマカオと近く、貿易港として発展した。

  • 1979年
    経済開放政策

     中華人民共和国・鄧小平が経済開放政策を実行。経済特区の深セン・珠海を抱えるので、大発展を遂げた。

  • 1997年
    香港の返還
    香港(wiki)

     イギリスが香港を中国に返還した。このとき、一国二制度が50年間取られるとされた。

     香港は中国金融の巨大センターとして今も活躍しており、中国経済の生命線である。

  • 1999年
    マカオの返還

     ポルトガルがマカオを返還した。マカオはアジアの一大カジノ街である。

  • 現在
    広州の今
    広州(wiki)

     広州は、北京・上海に並ぶ中国の三大都市の一つである。

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