イタリアの歴史まとめ/ ローマ帝国の末裔たち【受験世界史の地図】

西洋史

0. イタリアの歴史とは?

 イタリアの歴史とは、地中海につき出した半島の歴史である。古代にローマ帝国が地中海を支配したが、ローマ帝国の滅亡後には1500年にわたり分裂状態が続いた。

 イタリアの多様性は「千のイタリア(Mille Italia)」と呼ばれ、単純化することはできない。ただ、わかりやすさのために、北部(経済的に栄えた地域)・中部(ローマ教皇のいる地)・南部(地中海情勢を反映)に分けたい。

現代イタリアの地図(歴史)

 北イタリアは貿易で栄え、ルネサンスをうんだ。1500年の分裂状態を解消したのも、北イタリアのサルデーニャ王国である。

 中部イタリアはローマ帝国末期より、ローマ=カトリック教会が本拠地とし、800年ごろに世俗国家を建設された。今もバチカン市国として残っている。

 南イタリアは、ビザンツ帝国・イスラーム勢力・スペイン・フランスと政権主体が変遷していった。

 ローマ建国から現代イタリアにまで続く、イタリアの歴史を紐解いていきたい。

1. 古代ローマ

共和政ローマ

 伝承によれば、前753年に狼に育てられた双子がローマを建国した。前509年には王を追放され、王を持たぬ「共和政ローマ」が成立した。

ローマの地中海進出の地図(歴史)

 ローマは拡大し、前272年にイタリア半島を統一。次に、南の海洋強国カルタゴを攻め滅ぼし、東のギリシアにも拡大。地中海帝国へと変貌をとげた。

帝政ローマ

パンテオン(イタリアの歴史)
アウグストゥス帝の頃に作られたパンテオン(wikiより)

 紀元前50年頃、頭角をあらわしたユリウス=カエサルは、共和政の中核である元老院と対立。ローマへ進軍し、独裁官についた。次のアウグストゥスから、実質的な帝政がはじまった。

 ちなみに、July(7月)とAugust(8月)はこの二人の名から取られている。

ローマ帝国と後漢(イタリアの歴史)

 紀元後100年頃には、北はイギリス・西はスペイン・南はエジプト・東はメソポタミアに至る大帝国へと成長した。

コロッセオ(イタリアの歴史)
剣闘士が殺し合いをしたコロッセオ(wikiより)

ローマ市の衰退

コンスタンティノープへの遷都(イタリアの歴史)

 330年、コンスタンティヌスは都をローマからコンスタンティノープルに遷す。ローマは帝国の地方都市へと転落するのである。

 また、326年に聖ペテロの墓とされたバチカンに初めて教会が建てられ、やがて現代に続くローマ=カトリック教会の本拠地となる。

サン・ピエトロ大聖堂(イタリアの歴史)
現在の聖ペテロ大聖堂(サンピエトロ大聖堂)(wikiより)

西ローマ帝国

西ローマ帝国(イタリアの歴史)

 395年、ローマ帝国は東西に2分される。西ローマ帝国の都はラヴェンナにおかれた。

 西ローマ帝国は400年ごろ、北方の属州を放棄し、イタリアの地方政権に転落。そして、476年、皇帝が廃され、滅亡した。

2. 辺境化するイタリア

ゲルマン人の侵入

東ゴート王国(イタリアの歴史)

 493年、東ゴート王国が建国。554年には、東ローマ帝国のユスティニアヌスがイタリア全域を支配するも、568年、ランゴバルド王国が建国され、イタリアの大部分を支配した。

フランク王国

 ローマ=カトリック教会にとって、国際情勢は危機であった。そこで、ローマ教皇はキリスト教国家フランク王国に救援を求めた。

 フランク王国はランゴバルトを攻撃し北部を手中におさめた。また、ラヴェンナが教皇に贈られ、中部に教皇国家が成立した。

フランク王国と教皇国家(イタリアの歴史)

 800年クリスマス、西ローマ帝国が復活する。フランク王国のカール大帝が、ローマ教皇より帝冠を授けられたのである。

 9世紀、フランク王国は分裂し、イタリア王国が成立した。

神聖ローマ帝国

神聖ローマ帝国(イタリアの歴史)

 分裂したフランク王国に代わって、962年、東フランク王国のオットー1世が西ローマの帝冠を授かる。この戴冠をもって、神聖ローマ帝国の成立とされる。

 神聖ローマ帝国はイタリアの支配に乗り出すようになる。これに対抗して、ロンバルディア同盟が成立した。

 北イタリアでは、神聖ローマ皇帝のイタリア進出を支持するギベリンと、ローマ教皇をたてて対抗するゲルフに分かれて抗争が起きるのである。

 ちなみに、ロミオはギベリン、ジュリエットはゲルフの家系です。

1000年ごろのイタリア

西ヨーロッパ・東ヨーロッパ・イスラームの地中海世界

 1000年ごろ、地中海は西ヨーロッパ・東ヨーロッパ・イスラーム世界が三分していた。イタリアには各世界が食い込んでおり、どの世界から見ても辺境であった。

  • 北部・・・<西欧>神聖ローマ帝国
  • 中部・・・<西欧>教皇国家
  • 南部・・・<東欧>東ローマ帝国領
  • シチリア島・・・<イスラーム>イスラーム政権

3. 都市国家の繁栄

十字軍と東方貿易

 1095年、教皇は失われた聖地「イェルサレム」の奪還をめざす十字軍を提唱。13世紀まで継続される。

 十字軍はイタリア商人の海運力を基盤としており、北イタリアはイスラームやビザンツ帝国との東方貿易で栄えた。

北イタリアの都市の繁栄(イタリアの歴史)

 経済力をつけた都市は、神聖ローマ皇帝と対立、自立化しはじめる。こうして、西欧・東欧・イスラームに属さない第四勢力がイタリアに生まれた。

  • ヴェネツィア
ヴェネツィア
現代のヴェネツィア(wikiより)
  • ピサ
ピサ
ピサ大聖堂と斜塔(wikiより)

12世紀ルネサンス

 1130年、ノルマン人がイスラーム勢力をシチリアから追い出した。この結果、地中海の3世界(イスラーム・西欧・東欧)の文化とノルマン文化が混ざった独特な文化が生まれた。

 さらに、ノルマン人は古代ローマ文化を再発見した。古代ギリシア・ローマの古典文化は、キリスト教に排撃されヨーロッパ人は忘れていた。しかし、古典文化はイスラーム世界が保存していたのである。

12世紀ルネサンス

 シチリアのパレルモでは、アラビア語の翻訳を通じて、古典文化を取り入れ、12世紀ルネサンスと呼ばれる文化的潮流を作った。

ルネサンス

 14世紀、ギリシア・ローマ時代の文化を模範とする文芸復興運動「ルネサンス」が、北イタリアで興った。ルネサンス3大巨匠の作品↓

  • レオナルド=ダ=ヴィンチ『最後の晩餐』
レオナルド=ダ=ヴィンチ『最後の晩餐』
(wikiより)
  • ラファエロ『アテネの学堂』
ラファエロ
(wikiより)
  • ミケランジェロ『ダヴィデ像』
ミケランジェロ『ダヴィデ像』
(wikiより)

4. 混乱の時代

五大国の連合

イタリアとオスマン帝国(イタリアの歴史)

 1453年、東ローマ帝国がオスマン帝国に滅ぼされた。地中海支配を狙うオスマン帝国に対抗して、イタリアの五大国が同盟し、平和が訪れた。しかし、これは対外勢力の王権が強くなかった時の短い平和であった。

ハプスブルグ帝国

 1494年、中央集権化が進んだフランスは北イタリアを支配するため、イタリア戦争を開始する。

イタリア戦争(イタリアの歴史)

 フランスを破ったのが、神聖ローマ皇帝を世襲していたハプスブルグ家である。

 1559年のイタリア戦争終結までに、ミラノ・ナポリ・サルデーニャ・シチリア・フィレンツェ・ジェノヴァはハプスブルク家の影響下に入り、ハプスブルク帝国の一角を形成した。

南部はブルボン家へ

 フランス・ブルボン朝はハプスブルグ帝国に挑戦し、1713年、スペイン継承戦争でスペイン王位を奪った。

 18世紀半ば、北イタリアはハプスブルグ家、南イタリアはブルボン家が支配することになる。

 一方で、オーストリアに協力し、フランスの北イタリア侵入を阻んだサルデーニャ王国が強国化した。

トレヴィの泉(イタリアの歴史)
1762年に完成したトレヴィの泉(wikiより)

5. イタリア統一へ

フランス革命

ナポレオンの支配(イタリアの歴史)

 1789年、フランス革命が勃発。その後、ナポレオンがフランス皇帝に即位し、フランス軍がヨーロッパを蹂躙した。1806年、ライン同盟の創設により、神聖ローマ皇帝は帝国の解体を宣言した。その後、ヨーロッパ諸国は反撃し、1814年にナポレオンを島流しにした。

 しかし、フランスの革命精神にふれたイタリア人は、「自由」や「平等」、民族復興を意味する「リソルジメント」といった近代用語を使用しはじめ、近代化を目指すようになる。

 しかし、1815年〜1848年の国際的反動体制「ウィーン体制」の下で運動は失敗に終わった。

イタリア王国の成立

サルデーニャ王国 地図(イタリアの歴史)

 1800年代中盤、宰相カヴールのもと、近代化をすすめるサルデーニャ王国は、フランスへの協力を通じて北イタリアに勢力を広げた。

 1859年、イタリア統一戦争でロンバルディアを奪取し、1860年のガリバルディの活躍で両シチリ王国領を獲得した。

 こうして、1861年、サルデーニャ国王ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世がイタリア王に即位し、イタリア王国が誕生した。首都はフィレンツェに定められた。

エマヌエーレ2世記念堂
エマヌエーレ2世記念堂(wikiより)

イタリア統一と未回収のイタリア

 1866年、プロイセン=オーストリア戦争で、ヴェネツィアを併合。さらに、協力関係にあったフランスがプロイセンと一戦交えている中で、1870年に教皇領を併合。イタリア統一が完成した。

 しかし、「未回収のイタリア」とよばれる地域がオーストリアに取り残されていた。

6. イタリア王国と帝国主義戦争

帝国主義化

フランスとロシアとの密約(イタリアの歴史)

 ヨーロッパが帝国主義化していく中で、イタリア王国も植民地を拡大を目指す。

 ドイツとオーストリアの対仏同盟を解消したいフランスと、南下政策のためにバルカン半島を狙うロシアが、イタリアに接近し、トリポリ・キレナイカの領有を認める密約が交わされた。

 1911年、イタリア=トルコ戦争でトリポリとキレナイカをオスマン帝国から奪い、帝国主義国家建設の第一歩を踏み出した。

第一次世界大戦

第一次世界大戦

 1914年、連合国陣営と、同盟国陣営に分かれて第一次世界大戦が勃発した。イタリアは、「未回収のイタリア」のために参戦。第一次世界大戦の戦勝国となった。

ファシスト党

 1922年、武力でもってムッソリーニは首相になり、個人主義をうむ自由主義を批判。全体主義の道を進んでいった。

 また、1929年、ムッソリーニは、ヴァチカン市国建国を許し、70年ぶりに教皇領が復活した。

第二次世界大戦

第二次世界大戦

 ヒトラーが開始した第二次世界大戦に、イタリアは参戦したが、次々にイタリア軍は敗退。ムッソリーニ政権は倒れ、1943年に無条件降伏した。

7. イタリア共和国

現代イタリア

王政の廃止

 1946年、王政か共和政かを問う国民投票が実施され、僅差で共和政が勝利。王政は廃止され、イタリア共和国が成立した。

冷戦期

 キリスト教民主党が政権を50年近く維持した。資本主義陣営に属し、米国の支援で経済復興。1950~60年代には「奇跡的復興」と呼ばれる経済成長が実現した。

冷戦終結後

現代ミラノ
イタリア最大の都市圏ミラノ(wikiより)

 冷戦終結後、反マフィア運動が展開。1992年、ミラノで汚職事件が摘発されると、マフィアと国家中枢の関係が明らかになり、根本的な改革が迫られた。キリスト教民主党は解体され、今に至る。

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