イラクの歴史まとめ/5000年の興亡史【受験世界史の地図】

東洋史

 

0. イラクの歴史とは?

オリエントの地図

 イラクの歴史とは、メソポタミアの歴史だ。メソポタミアとは、ティグリス川(北)とユーフラテス川(南)の大河にはさまれた地帯のことをいう。

 メソポタミアは、肥沃な大地をもち、人類最古の都市文明を築いた。

 古代オリエントの中心バビロンや、世界最大のイスラーム文化圏の都バグダードが建設されるなど、世界の中心であったこともある。

 しかし、大帝国が崩れ、国家が乱立すると、他国に支配された。

  • 中国との交易路を支配するペルシア
  • 安定した政権をもつエジプト
  • ヨーロッパと隣接するトルコ

との中間点に位置する穀倉地帯という地政学的な問題点を抱えていたからである。

 古代の偉業を称える遺跡はあまり残っていない。

 また、現代イラクはシーア派、スンニ派、クルド人を内包する多民族国家であり、欧米に食い物にされた結果、経済的にも発展せず、政情不安が続いている。

 本記事では、メソポタミアを支配した国々をまとめた。メソポタミアというと四大文明が思い浮かぶ方が多いと思うが、その長いエピローグの歴史といってもいい。

 5000年にもなる悠久の歴史にお付き合い願いたい。

1. 古代メソポタミアの時代

 エジプトより早く農業が行われた。古代メソポタミア文明である。

 シュメール人の文明は世界最古の文明である。また、はじめてメソポタミアとエジプトを統一したのは、メソポタミア出身のアッシリア人である。

古代メソポタミア時代の年表
  • 前3000年
    シュメール人の都市国家
    ウルのジッグラト(メソポタミアの歴史)
    ウルのジッグラト

     シュメール人が人類最古の都市文明が築く。古代オリエント最大の文学作品『ギルガメッシュ叙事詩』が生まれた。

  • 前24世紀~
    アッカド王国

    はじめてメソポタミアを統一した。アッカド語は2500年にわたり、100万点の資料を残した。当時の国際共通語だった。

  • 前20世紀~
    古バビロニア王国
    ハンムラビ法典
    ハンムラビ法典

    ハンムラビがメソポタミアを統一。首都はバビロンにおかれた。「目には目を、歯に歯を」で有名なハンムラビ法典が作られた。

  • 前16世紀~
    受験世界史での空白期

    北部にミタンニ、南部にカッシートが成立した。

  • 前8世紀~
    アッシリア
    アッシリアの地図

    オリエントを史上初めて統一した。イスラエル王国も滅ぼした。しかし、過酷な支配で反乱がおこり短期で滅亡した。

  • 前625年〜
    新バビロニア王国
    バビロン捕囚
    バビロン捕囚

    バビロンに都に建国。前586年、バビロン捕囚を実行した。

  • 前538年
    アケメネス朝ペルシアによる支配
    アケメネス朝ペルシアの地図

    オリエントを再統一。寛容な支配で長期にわたりオリエントを支配した。エクバタナとバビロンに夏と冬の宮殿が作られ、行政はスサで行われた。

2. ヘレニズム時代

 古代ギリシア末期に英雄が出現する。アレクサンドロス大王だ。ギリシア北部から軍を率いて、インド西部にまで征服。

 アレクサンドロスは後継者の育成に失敗したが、彼の帝国の末裔は約300年にわたって存在した。このときに、ギリシアの文化が広まり、国を超越した「世界市民」という考えが生まれた。

 ギリシア風のこの時代をヘレニズム時代という。

ヘレニズム時代の年表
  • 前330年
    アレクサンドロス大王の東方遠征
    アレクサンドロス大王

    ギリシア北部から来たアレクサンドロス大王が、アケメネス朝を滅ぼした。なお、アレクサンドロス大王は一匹の蚊によって熱病にかかり、バビロンで死んだ。

  • 前312年〜
    セレウコス朝シリア

    アレクサンドロス大王の遠征地域を基盤に、ギリシア系の王朝が建国された。前64年にローマに滅ぼされた。

3. ペルシアによるメソポタミア支配

 ヘレニズム時代は地中海帝国へ成長するローマによって、終わりを告げる。

 ペルシアではパルティアが自立。メソポタミアを支配した。また、この時期は西にローマ帝国、東に漢帝国が存在し、ペルシアは東西交易で栄えた。

ペルシアによる支配の年表
  • 紀元前1世紀
    パルティア
    パルティアの地図

    メソポタミアのクテシフォンに都を移し、東西交易で利益をあげた。中国では「安息」と呼ばれた。

  • 224年
    ササン朝ペルシア
    ササン朝ペルシアの地図

    クテシフォンに都をおいた。ササン朝美術は中国や日本にも伝わった。

    最盛期の王はホスロー1世で、東ローマ帝国ユスティニアヌスと覇を競った。

  • 642年
    ニハーヴァンドの戦い

    急速に勃興したイスラーム勢力についに、ササン朝ペルシアが滅ぼされ、この地域は永久にイスラーム化することになる。

4. 世界の都バグダード

 622年に成立したイスラーム勢力は、数十年で大帝国を築いた。

 アッバース朝の中心地がバグダードである。中国・唐の長安と共に100万の人口を抱える都市となり、世界で最も栄えた。

 しかし、アッバース朝は次第に弱体化し、実権はペルシアの国家がうばった。

世界の都バグダードと衰退の年表
  • 630年
    (ムハンマドのアラビア半島統一)
    カーバ神殿
    メッカのカーバ神殿

    ムハンマドがメッカを征服した結果、遊牧民がムハンマドに帰順の意を示した

  • 632年
    (正統カリフ時代)

    ムハンマドが死去。カリフが教団を指揮した。

  • 661年〜
    ウマイヤ朝(アラブ帝国)
    ウマイヤ朝の地図

    シリアのダマスカスに首都がおかれ、巨大な帝国が作られた。

  • 750年〜
    アッバース朝(イスラーム帝国)
    アッバース朝の地図

    メソポタミアのバグダードに首都がおかれ、世界一の都市と言われた。当時、バグダードの人口は100万を超えた。

  • 946年
    ブワイフ朝のバグダード入場
    ブワイフ朝地図

    イランに都をおく、ブワイフ朝がバグダードに入城。メソポタミアの実質的な支配者はブワイフ朝に移った。

  • 1055年
    セルジューク朝のバグダード入城
    セルジューク朝の地図

    トルコ系のセルジューク朝が、ブワイフ朝を追い出した。アッバース朝カリフから、「スルタン」の称号を得た。

  • 1192年
    イラク・セルジューク朝の滅亡

    ホラズム・シャー朝により、イラク・セルジューク朝は滅亡した。

  • 1258年
    バグダード陥落

    1258年、モンゴル軍はアッバース朝を滅した。

    以後、バグダードはイスラーム世界の地方都市に転落する。

5. ペルシアによるメソポタミア支配

 ユーラシア大陸を征服したモンゴル帝国の尖兵がついに到達。アッバース朝は滅び、バグダードは長い衰退の時を迎える。

 モンゴル系の国家が滅びた後、ペルシアの支配下に入る。

ペルシアによる支配の年表
  • 1260年〜
    イル=ハン国
    イルハン国の地図

    モンゴル人のフラグがイル=ハン国を建国した。

     イル=ハン国とエジプト・マムルーク朝の対立の中で、メソポタミアは国境地帯と化し、衰退した。

  • 1393年〜
    ティムール帝国
    ティムール帝国の地図

    イランのサマルカンドに都をおくティムール朝が、1393年にイル=ハン国を併合した。

  • 1508年
    サファヴィー朝ペルシア

    イスマイール1世がバグダードを占領した。

6. オスマン帝国の支配

 現在のトルコに本拠地をおくオスマン帝国が拡大をとげ、大帝国への変貌した。ペルシアとの戦いに終止符が打たれ、メソポタミアは安定した支配者を見つけることになる。

 オスマン帝国はイスラーム世界の盟主となり、栄華を誇った。

 200年後、産業革命を経てヨーロッパ列強が台頭。オスマン帝国の支配を揺るがす。オスマン帝国は徐々に、領土をそがれ、ドイツと接近する。

 せまりくる第一次世界大戦。オスマン帝国にとっては破滅への道。メソポタミアにとっては解放への光だった。

トルコによる支配の年表
  • 16〜17世紀
    オスマン帝国とサファヴィー朝
    サファヴィー朝

    オスマン帝国のスルタンと、サファヴィー朝のシャーで抗争が勃発。

    • 1508年:サファヴィー朝のイスマイール1世
    • 1534年:オスマン帝国のスレイマン1世
    • 1623年:サファヴィー朝のアッバース1世
    • 1634年:オスマン帝国のムラト4世

    と支配者が二転三転した。

  • 17世紀半ば〜
    オスマン帝国
    スレイマンモスク
    イスタンブールのスレイマン=モスク

     トルコのイスタンブールを都にするオスマン帝国の支配が確立。

     徐々にバグダードは復興を遂げる

  • 19世紀
    東方問題
    オスマン帝国の衰退の地図

     強大化するロシア帝国の南下を受け、オスマン帝国は縮小。最終的にドイツに接近した。

6. 現代「イラク」の成立 

 第一次世界大戦が勃発。オスマン帝国は敗戦。帝国は解体された。

 メソポタミアでは、イギリスの委任統治領をへて、イラク王国が成立する。

 しかし、アラブ人の自立の流れの中で、英国との協調路線をとったため、イラク革命が勃発。

 反英・反米を掲げるイラク共和国が、1958年に建国された。その後も、政情は不安定で今に至る。

現代の年表
  • 1914〜
    1919年
    第一次世界大戦

     ドイツ側で戦ったオスマン帝国は敗戦。帝国は解体された。

  • 1922年
    イギリス委任統治領メソポタミア
    イラクの国内民族図、スンナ派、シーア派、クルド人

     第一次世界大戦で敗戦したオスマン帝国に代わってイギリスが一時的に統治した。このとき

    • 北部クルド人地帯
    • 中部スンナ派・シーア派地帯
    • 南部シーア派地帯

    が同じ国におかれた。

  • 1932年〜
    イラク王国
    イラク、ソ連、地図

     イラク王国が建国された。

     1946年、アラブ連盟に加盟。ユダヤ人の新国家イスラエルと対立した。

     一方で、共産主義の防波堤を自負し、米英と協調路線をとった。

  • 1958年
    イラク革命勃発 イラク共和国へ

     革命が勃発し、王政が打倒された。

     反米・反英のイラク共和国が建国である。

  • 1980~88年
    イラン=イラク戦争
    イラクでの戦争年表の地図

     イラクのフセイン(1979年〜)は宿敵ペルシアを攻撃。泥沼の戦争を開始した。

  • 1991年
    湾岸戦争

     油田地帯クウェートにイラクが侵攻。米国を中心とする多国籍軍が編成され、イラクは敗れた。

  • 2003年
    イラク戦争
    バグダードの米軍(イラク戦争)
    バグダードの米軍(2004年)

     大量破壊兵器を保持しているとされたイラクは、米軍の攻撃を受けた。結果、1979年から独裁体制をしいていたフセイン政権は倒れた。

  • 2014年
    イスラミック・ステート(IS)が建国宣言

     イスラム原理主義国家であるISが建国を宣言。

     2019年現在、支配領域は小規模になったが、いまだに正常不安定であることが浮き彫りになった。

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