南京の歴史/長江の古都

都市
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 南京は中国四大古都(西安・北京・南京・洛陽)の一つです。春秋戦国時代から現代に至るまでの歴史を追ってみましょう。

南京の歴史年表
  • 春秋時代

     呉がこの地に城を築いた。

  • 戦国時代

     呉を滅ぼした中国南部の大国・楚によって金陵邑が築かれた。

  • 前220年頃
    始皇帝の来訪

     中国を史上初めて統一した秦の始皇帝が来訪。「この地には王者の気がある」して怒り、地形を無理やり変えて気を絶とうとした。名前も「金」陵邑から秣陵県に変えられた。

     名前は以後、複雑に変わるので以降の記述では、受験世界史の範囲で出るもの以外触れないこととする。

  • 漢の時代
    地方都市
  • 三国時代〜南北朝時代
    六朝の都

     呉の首都「建業」となった後、東晋の首都「建康」となった。また、南北朝時代の宋・斉・梁・陳も都においた。これらを六朝という。この時代に江南開発が進み、中国南部が発展した。

     この時代、中国北部は異民族の侵入を受けていた一方で、中国南部の六朝では貴族が漢の文化を継承。陶淵明(文学)・昭明太子(文学)・顧愷之(画家)・王羲之(書道)が主な文化人。漢詩の形式は四六駢儷体。

  • 隋・唐
    揚州に江南の中心地の座を奪われる

     中国北部の中から生まれた隋が六朝を滅ぼし、中国を約400年ぶりに統一。この時、華北と江南を繋ぐ大運河が建設され、対岸の揚州が物資の集積都市となった。

  • 五代十国・宋・元
    首都ではない時代

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  • 1368年
    明の首都へ

     元王朝末期1356年、農民出身の朱元璋がこの地を征服。1368年、この地を都に統一王朝「明」を創始した。この時の名は「応天府」。

  • 1421年
    明の首都の座を北京に奪われる

     永楽帝が北京に遷都。ただ、明創業の地として副都として扱われた。北京に異常があった際に政府機能を移転できるよう、規模が縮小された都が建設されたいた。

  •  清は都を北京とした。

  • 1851年
    太平天国の乱

     清代後期に太平天国の乱が発生。キリスト教に目覚めた洪秀全が中国南部に太平天国を建てた。首都はこの地におかれ、「天京」とされた。 

     イギリスは当初、清と太平天国の間での中立の立場をとった。しかし、1856年からアロー戦争が始まると清を通じて中国での利権拡大を目指すことになり、太平天国は外国勢力も相手取ることになり、1864年、滅亡する。

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  • 1911年
    辛亥革命

     孫文が辛亥革命を起こし、1912年、中華民国の建国を宣言。清朝は滅亡する。南京には臨時政府が置かれた。

  • 1927年
    国民政府の首都へ

     中華民国の国民政府の首都になる。

  • 1937年
    日中戦争で占領

     日中戦争が勃発。ここで南京事件が起こる。別名「南京大虐殺」とも言われるこの事件は、今も政治の焦点になることがある。

  • 1940年
    日本の傀儡政権の首都

     汪兆銘の南京政府が樹立される。

  • 1949年
    国民政府撤退

     国共内戦で、共産党に敗れた国民党政権は台湾に逃れる。こうして中華人民共和国の直轄地となる。

     なお、現在も台湾の中華民国政府は南京を正式な首都としている。

  • 現在
    今の南京
    Photo by Junyao Yang on Unsplash

     人口850万人。江蘇省の省都である。

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