古代ローマ建築の歴史です。建設年にあわせて並べてみました。ですので、ローマ建国からコンスタンティヌスまで概観できるような形になっております。
1、パラティーノの丘 (ローマ始まりの地)

場所の意味:ローマの建国者ロムルスとレムスが育った場所。ローマ時代の最高級居住区。宮殿を意味する「パレス」の語源。
2、フォロ・ロマーノ (政治経済の中心)

場所の意味:ローマの政治経済の中心地。
最盛期:壮麗な建築物が立ち並んでいた。
ローマ以後:もともと湿地であり、帝国の滅亡後、沼に沈んだ。中世になると忘れ去られ、放牧場となった。このため、むしろ保存状態は良かった。しかし、ルネサンス期になると、建材として利用され破壊された。
3、アッピア街道 (すべての道はローマに通ず)

建設:前312年〜(徐々に延長)
建築意図:イタリア半島統一戦争を円滑に進めるため。
歴史的意義:ギリシア人と比較して、「実用性」重視のローマ人らしさがある。
補足:「街道の女王」と呼ばれ、「すべての道はローマへ通ず」世界観における最重要道路。
4、カエサルの「ライン橋」(ガリア遠征)

建設:前57年ごろ
建設意図:ガリア遠征
ローマ帝国の建築技術はハイレベルだった。これを象徴する個人的に好きな話をしたいと思う。
ローマ北部の辺境ガリアに遠征したカエサルは、ライン川より西の制圧を完了するため、ライン川より東のゲルマン人の攻撃に乗り出した。
その際に取ったのが、「ライン橋」の建造である。ローマ軍を工兵に変え、わずか10日で完成させたこの橋によって、ゲルマン人はローマの技術力に圧倒され、降伏を選択した。
カエサルは、その後、橋を破壊して去った。
5、パンテオン (帝政の始まり)

初代の建設:前25年(消失)
建築意図:アウグストゥスの神殿にする予定だったが、反発が予想されたのでローマの神々を祀る「万神殿」となった。
二代目の建築:118年から128年 (五賢帝ハドリアヌス)
特徴:ドーム建築。非常に技術力が高い。
ローマ以後:608年にキリスト教神殿となった。
保存状態:改築されづらい構造で2000年前の姿を留めている。
6、ガイウスのピラミッド (エジプト征服)

建築:前18〜前12年
建築意図:流行りに乗っかるため。この頃、プトレマイオス朝エジプトを征服して以降、お墓をピラミッドにすることが流行った。
7、コロッセオ (パンとサーカス)

建築:70〜80年
建築意図:ローマ大火やローマ内戦で傷ついたローマ市民を、競技場の建設で懐柔するため。まさに「パンとサーカス」の精神。
ローマ以後:建材として利用。そのため、外周の半分は失われた。
使用技術:ローマン・コンクリート (現代のコンクリより強度があり、長持ちする)
コロッセオ | 東京ドーム | |
面積 | 2.4万平方メートル | 4.6万平方メートル |
高さ | 48m | 56m |
収容人数 | 4〜6万人 | 5万5000人 |
特殊装備 | 模擬海戦が可能 | 空気圧で張った膜が屋根 |
8、凱旋門 (ローマ東西分裂の序章)

建築:315年(諸説あり)
建築意図:のちにコンスタンティノープルを建設するコンスタンティヌス帝が、西ローマの正帝を倒したことを祈念するため。
特徴:ローマの凱旋門として最大。
後世への影響:パリに建てられるナポレオンのカルーゼル凱旋門の模範となった。
About 受験世界史の地図