ルネサンス建築についてみていきましょう!
1、ルネサンスとは何か?



地中海貿易で経済力を蓄えたイタリアで、中世キリスト教社会を揺さぶる文化運動が起こります。
14〜16世紀のルネサンスです。
ルネサンスは、当時からして1000年前の古代ローマの文化を模範とする「文芸復興」を意味します。
人間性の解放が目指され、絵画・文学・彫刻・建築と様々なものに影響を与えます。
「暗黒の中世」のキリスト教社会から、現代につながる近代社会へと変わる転機とされます。
注意1:近年、「暗黒の中世」「ルネサンスは14〜16世紀のみ」の考え方は、見直されつつある。
注意2:古代を模範にオリジナリティーもあるのがルネサンス建築。一方で、古代を忠実に再現したが「新古典主義建築」です。
2、ルネサンス建築
ルネサンスの動きは建築にも影響を与えます。特徴は以下の通り。
特徴1:数学的な構造が重視された。具体的には点対称性・透視図法など。
特徴2:ドーム建築
建築史的意義:数学が導入されることで高度な体系をもつ学問に昇華した。
3、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 (イタリア)



場所:フィレンツェ
建築家:ブルネレスキ(←ドーム建築を担った)など
工期:1296年から1462年
4、サン=ピエトロ大聖堂 (バチカン)



場所:バチカン(イタリア半島)、ペテロのローマ殉教の地とされる。
5、サン=ピエトロ大聖堂の歴史年表
- 67年(?)ペテロ、ローマにて没す
古代ローマ帝国時代、イエス最初の信徒ペテロは、ローマにて死んだ。ペテロは、初代ローマ教皇とされる。
- 300年代コンスタンティヌス帝が教会堂の建設を指示
4世紀のローマ帝国(しまうま、2020、○) ペテロの墓があったというこの地に、キリスト教を公認したコンステンティヌス1世が教会堂の建設を指示した。
- 800年クリスマスカール大帝への戴冠
800年ごろのヨーロッパ(しまうま, 2020, ○) レオ3世はフランク王国カールに、ローマ皇帝の冠を授けた。
- 1505年ユリウス2世が改築を決定
ユリウス2世によって、当時古びていた建物を改築することが決定された。
設計競技の結果、ブラマンテが主任建築士になることになったが、10年ほどで二人が死去した。
- 1513〜1521年ドイツ宗教改革の火種
教皇レオ10世がサン・ピエトロ大聖堂の建築のために、贖宥状を発行した。
しかし、ルターはこれに怒り、ルターは宗教改革を起こすことになる。
- 1527年ローマ略奪
16世紀のヨーロッパ(しまうま, 2020, ○) 神聖ローマ皇帝カール5世がローマ略奪をした。
宗教改革やローマ略奪のため、建設は進まなかった。
- 1536年パウルス3世の建設再開
パウルス3世が建設を再開させたが、古代ローマのフォロ=ロマーノの切り崩しを認めたため、古代ローマの遺跡が破壊された。
- 1500年代中盤ミケランジェロの指揮
ミケランジェロのピエタ(サン・ピエトロ大聖堂)(Stanislav Traykov, 2005, CC BY-SA 3.0, ○)(wiki) ミケランジェロに指揮が移り、工事の規模を縮小し、造営は迅速に進められることになる。基本的な部分はこのミケランジェロが手がけた。
ミケランジェロの死後、オスマン帝国との戦費があり、工事があまり進まない時期があった。
- 1588〜90年ドームの建設
- その後ドーム内部・身廊・バルダッキーノ・ファサードの建設
順次、サン・ピエトロ大聖堂に意匠が加えられていった。
- 現在今のサン・ピエトロ大聖堂
サン=ピエトロ大聖堂(François Malan, 2005, CC BY-SA 3.0, ○)(wiki) サン・ピエトロ大聖堂は、バチカン市国の観光地となっている。
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