3分でわかる南アジア史の流れ&地理

地域史の流れ
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 南アジアの歴史を3分で総覧します。南アジアとは、インドの周へんのことです。

<地域史の流れ&地理シリーズ>

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1、南アジアの地理

 人間が平等であれば、歴史は人ではなく土地が決定する。なら、地理を学ぶことは重要であるということに同意いただけるだろう。

 さて、まず、南アジアの地理である。

インド亜大陸

 インドは昔、一つの独立したインド大陸だった。それが1000万年前、ユーラシア大陸に衝突、合体する。

 このときの経緯からインドは、インド亜大陸と言う。今でのインドはユーラシア大陸にめり込んでいっている。めり込んだ結果、ヒマラヤ山脈が生まれたわけだ。

ガンジス川とインダス川

 インドには、インダス川ガンジス川の2つの大河川がある。上の地図を見れば分かるとおり、インダス川は砂漠を、ガンジス川は緑地帯を流れている。

 インドは北回帰線直下で亜熱帯高圧帯があるので、本来、砂漠になるべき場所。(他の北回帰線直下には、サハラ砂漠やサウジアラビアがある。)

 けれども、ガンジス川には緑があります。なぜかというと、ヒマラヤ山脈に湿った風が当たり、上昇することで雨となって降り注ぐからです。ここは世界での有数の人口密集地帯です。

隔絶された世界

 南アジアの特徴は、「大きな隔絶された世界」でということ。南アジアは、北にヒマラヤ山脈があり、西にはイラン高原がある。このため、インドはペルシア文化圏や中国文化圏といった強い帝国から守られている。

インドへの侵入方法

 北方からインドに侵入するには、カイバル峠を超えるしかない。アレクサンドロス大王(ギリシア)やバーブル(ムガル帝国)はこのルートを利用した。このルートを使えば、ガンジス川流域の豊かな地域にすぐに到達することができる。

 また、小規模な進出なら、インダス川河口というのもある。ウマイヤ朝などはこの例だ。

 東から侵入した目立った国は、受験世界史においてはない。日本軍のインパール作戦も失敗している。

2、南アジアの歴史

イギリス以前

インド亜大陸はインダス川とガンジス川を抱え、高度な文明が発達、中国と世界一の経済大国の座を争った。

 しかし、インド亜大陸の東西南北が完全に統一されることがなかった。そのため、文化的統一性はなく、多様性ことが特徴。 支配者の宗教は仏教→ヒンドュー教→イスラーム教→世俗主義(現在)と変遷した。

 4世紀以来、民衆に浸透したヒンドュー教とカースト制が深く結びつき、インド社会のヒエラルキーを築いた。

イギリス以後

 15世紀末からヨーロッパのインド進出が開始。最初にきたのは交易目的のポルトガルだが、18世紀になると植民地化が目的のイギリスが台頭した。

 19世紀には、イギリスがインド全土を植民地化した。

 第二次世界大戦が終わり、イギリスがインド経営を放棄した際、宗教対立のため、ヒンドゥー教徒の多いインドと、イスラーム教徒の多いパキスタン(今のパキスタン&バングラデシュ)に分裂した。

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