スペインの歴史まとめ/初代・太陽の沈まぬ国【受験世界史の地図】

西洋史
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0. スペインの歴史まとめ

 スペインはヨーロッパ半島西端の国。そして、アフリカとは海峡を隔てて、目と鼻の先だ。これがスペインの歴史に大きな影響を与えた。「ピレネー山脈より南はアフリカだ」といわれた時代あったのである。

 ヨーロッパ半島西端でありながらも、いわゆる西ヨーロッパとは異なる歴史をたどってきたスペイン3000年史を見てみよう。

スペインの歴史、ローマ帝国のヒスパニア

 スペインの歴史も、多くのヨーロッパ諸国と同じようにローマ帝国の支配下にあったことから始まる。その名はヒスパニアであった。

スペインの歴史、アル=アンダルス、イスラーム化されたスペイン

 しかし、7世紀、中東で勃興したイスラーム教の帝国に飲み込まれた。これ以後、スペインに800年の永きにわたってイスラーム教の国家が残存した。ここが西ヨーロッパとは決定的に違った。

レコンキスタとムラービト朝とムワヒッド朝

 一方で、この800年は、キリスト教国家による反撃の連続であった。これをレコンキスタ、直訳すると「再征服」という。時は流れ15世紀末、レコンキスタは完成。同時にスペイン王国が成立した。

スペインのアメリカ植民地インディアス

 イスラームの支配を脱した直後、コロンブスがアメリカ大陸を発見。ヨーロッパの大航海時代を切り開いた。この時代、中南米の広大な地域を植民地化した。

 フィリピンも支配し、地球上に植民地が存在したことから、世界のどこかの領土では太陽が登っている「太陽の沈まぬ国」と呼ばれた。スペインが覇権国家であった「スペイン黄金時代」である。

アルマダの海戦
アルマダの海戦(イギリスに敗北)wikiより

 しかし、国内産業が発展せず、やがて、イギリス・フランスと言ったお馴染みの国々に覇権を奪い取られた。スペイン本国が弱体化したため、19世紀前半、アメリカの植民地は次々に独立していった。

 こうして、スペインはヨーロッパの一国に転落した。他のヨーロッパ諸国が産業革命を成し遂げ、帝国主義戦争を展開する中で、スペインはヨーロッパ半島西端に引きこもったのである。

 なお、昔のスペインの栄光を示す最大の遺産はスペイン語である。スペイン本国の人口は5000万人にも満たないのだが、スペイン語話者は全世界に4億人おり、大学の第二外国語としても人気である。  

1、地中海の西の果て

フェニキア人の植民

フェニキア人のスペイン

 フェニキア人やギリシア人がイベリア半島に交易目的で訪れた。やがて、フィエニキア人がチュニジアに築いたカルタゴが強大化すると、西地中海はカルタゴの勢力下に入った。イベリア半島も例外ではない。

 一方で、イタリア半島には新しい帝国の芽が育ちつつあった。ローマである。ローマとカルタゴは西地中海の覇権を巡って、紀元前2世紀、激突した。ポエニ戦争である。

スペインの歴史、ヒスパニア、ローマ帝国の支配の中で

 結果、ローマ軍が勝利し、カルタゴは消滅、イベリア半島はローマの支配下に入った。

ローマ人による支配

メリダのローマ時代の遺跡(wikiより)

 ローマの属州がイベリア半島におかれ、パックス=ロマーナの中で繁栄した。上の建築物は、紀元前24年に建てられたローマ劇場の廃墟である。

 しかし、ローマ時代末期、ゲルマン民族の侵入によってローマ帝国は弱体化。375年には西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂。

 西ローマ帝国の属州であるヒスパニアは、やがてゲルマン民族に攻め落とされた。

ゴート人による支配

西ゴート王国の地図

 ヒスパニアにきたゲルマン民族は西ゴート族である。414年、西ゴート人は南フランスに王国を建国。徐々に南下し、560年、イベリア半島中央のトレドに遷都した。

 なお、西ゴート王国は政治的な統一をもたらし、レコンキスタを進める人々に「統一された領土」として理想化されることになる。(ただし、実態は異民族支配で、文化レベルも低かった。)

2、アフリカの時代

征服 〜アル=アンダルスの誕生〜

スペインの歴史、アルアンダルス、イスラーム化されたスペイン

 711年、アラブ帝国(ウマイヤ朝)がジブラルタル海峡を突破し、イベリア半島に上陸した。数年にして、イベリア半島が征服された。属州アル=アンダルスの誕生である。

 約800年の間、イスラーム勢力はイベリア半島にとどまった。この時代、ヨーロッパと陸続きである以上に、北アフリカと隣接していることがスペインの本質であった。

後ウマイヤ朝

コルドバのメスキータ内部(wikiより)

 750年、シリアに首都をおくアラブ帝国(ウマイヤ朝)が滅び、イラクに首都をおくイスラーム帝国(アッバース朝)が誕生した。

 756年、亡命してきたウマイヤ家のアブド=アッラフマーン1世がイベリア半島に上陸。後ウマイヤ朝が建国された。10世紀になると、「カリフ」を自称し、最盛期をむかえた。

 このとき、首都コルドバは西方イスラーム世界の中心地であった。しかし、1031年、無能なカリフがつづき、滅亡した。

タイファ諸王国

レコンキスタとムラービト朝とムワヒッド朝

 後ウマイヤ朝の滅亡後、小国分立の時代が続いた。アフリカのムラービト朝やムワヒッド朝の侵入もあった。結果、アル=アンダルスに政治的統一は生まれず、キリスト教勢力のレコンキスタ(再征服)に屈していった。

3、ヨーロッパへの復帰

レコンキスタ

レコンキスタと十字軍

 キリスト教側ではイスラームに征服された地の奪還が唱えられた。レコンキスタ(再征服)である。

 718年、アストゥリアス王国が、キリスト教国としてはじめてウマイヤ軍をやぶった。718年がレコンキスタのはじまりとされる。

現在のトレド(wikiより)

 1085年には、西ゴート王国の旧都トレドを奪還。最先端のイスラーム文明が、盛んにラテン語に翻訳された。こうして、スペインからイスラーム文明がヨーロッパに伝わり、12世紀ルネサンスを生んだ。

スペイン王国の成立

カスティーリヤとアラゴン

 1479年、レコンキスタを推進するカスティーリヤ王国(イザベル女王)・アラゴン王国(フェルナンド1世)が合併。スペイン王国が成立した。

 そして、スペイン王国は1492年、ナスル朝の首都グラナダを攻め落とし、レコンキスタを完成させた。

4、スペイン帝国の礎

新大陸の発見

コロンブスの上陸
コロンブスの上陸(wikiより)

 スペイン女王イザベルはコロブスを支援。1492年、コロンブスはアメリカ大陸を発見した。それは「新大陸」と呼ばれた。

 やがて、アメリカ大陸の銀鉱山を掌握し、ヨーロッパで最も富んだ国へと成長をとげた。スペイン黄金時代のはじまりであった。

ハプスブルグ朝

カルロス1世、スペイン王
カルロス1世(ティツィアーノ作、1548年)

 1516年、スペイン王はヨーロッパで最も権威のある一族へ世襲された。ハプスブルク家である。ハプスブルグ家は、ドイツの神聖ローマ皇帝の一族である。

 ハプスブルク朝スペインの初代王は、1516年に即位したカルロス1世。1520年からは神聖ローマ皇帝も兼任し、カール5世とも呼ばれた。

5、太陽の沈まぬ国

ヨーロッパの覇権国家スペイン

 16世紀におけるスペインの状態を整理したい。

 まず、ヨーロッパ内においてスペイン=ハプスブルグ家の勢力は、上の地図のように大きくなった。(※ポルトガル併合は1580〜1640年)

スペインのアメリカ植民地

 さらに、スペインはアメリカの独自文明を一掃した。コンキスタドールと呼ばれる征服者がその役割を担った。

 1521年、コルテスはアステカ王国を滅ぼし、1533年、ピサロがインカ帝国を滅ぼした。

 コンキスタドールは数百の兵で、数万の敵軍を撃破した。それはヨーロッパの科学力のみならず、ヨーロッパ由来の「未知の疫病」のためでもあった。

マゼランを戦死させたフィリピンの英雄ラプ=ラプ(wikiより)

 一方で、地球の裏側フィリピン、1521年、マゼランが上陸した。マゼラン本人は現地の王ラプ=ラプとの戦いで戦死したが、マゼラン艦隊は史上初めて世界一周を成し遂げた。

 フィリピンはやがて植民地化された。なお、フィリピンは後の「フェリペ2世」にちなみ名付けられた。

スペイン帝国の国旗
スペイン帝国の国旗(1505-1785年)

 スペインはこうして全世界に領土をもつ覇権国家「スペイン帝国」へと変貌を遂げた。

 ヨーロッパ、アメリカ、フィリピンのどこかを太陽が常に照らしており、この全地球規模の帝国を称えて「太陽の沈まぬ国」と呼ばれた。

6、帝国の没落

国内経済の失敗

 スペイン経済の繁栄はアメリカ大陸から収奪した富に依存しており、国内産業が発展しなかった。

 さらに、ドイツでカトリック批判が宗教改革へと結実すると、スペインはカトリックの守護者として強硬な態度をとった。これが異端審問の強化、さらには重要な住民であったイスラーム教徒の迫害へとつながった。

 結果、数十万人のイスラーム教徒の住民が減少し、国内の経済基盤がくずれた。

日本とスペイン

 スペインのカトリック保護は「対抗宗教改革」と呼ばれる。その一環として、海外布教が推進された。イエズス会が設立され、1549年、日本にザビエルが訪れた。なお、ザビエルはバスク人である。

ヨーロッパにおける覇権の失墜

アルマダの海戦、フィリップ・ジェイムズ・ド・ラウザーバーグ作、1798年(wikiより)

 最初にスペインの覇権に挑戦したのはイギリスであった。1588年、イギリス海軍はスペイン海軍を打ち破った。スペインの覇権は揺るがなかったが、スペイン凋落の象徴的な事件とされる。

 また、ネーデルラント北部ではプロテスタントが盛んであったのにも関わらず、スペイン王はカトリックを押し付けた。結果、オランダ独立戦争が勃発。80年にも及ぶ戦いの末、スペインからオランダが分離独立した。

 ちなみに、この時にスペイン側に残ったネーデルラント南部は、現在、ベルギーとなっている。

 さらに、1640年、ポルトガルも独立。欧州でのスペインの覇権は失墜していった。

7、隣国フランスの強大化

フランスの強大化

ハプスブルクに挟まれたフランス

 1600年代前半、フランスはハプスブルク家の包囲網の打破を試みた。神聖ローマ帝国との三十年戦争、スペインとのフランス=スペイン戦争に、フランスは勝利した。

 これにて、スペイン黄金時代は完全に終結した。

ブルボン朝の成立

 18世紀に入るとスペイン=ハプスブルク朝が断絶。全盛期を迎えていたフランス王ルイ14世がスペインに侵攻した。

フェリペ5世、ジャン=ランク作、1723年

 1713年、ルイ14世がスペイン継承戦争に勝利。フランス王家と同じブルボン朝が成立した。初代王はフェリペ5世である。

 この時のユトレヒト条約で、イギリスがスペインの海外権益を得て、海洋覇権国家へと成長した。スペインはジブラルタルも喪失した。

フランスによる占領

 18世紀は啓蒙の時代である。啓蒙思想は貴族社会と王政の否定につながっていった。

 1789年、フランス革命が勃発。ルイ16世は処刑された。しかし、政治は混乱し、平等な社会は訪れなかった。

 混乱はナポレオンというフランス皇帝を生んだ。ナポレオンは兄ホセをスペイン王とした。

『マドリード、1808年5月3日』、ゴヤ作

 これに反発したのがスペイン人である。1808年、半島戦争(スペイン独立戦争)が勃発した。1814年、ナポレオンに勝利した。

8、植民地の喪失

アメリカ植民地独立

南米独立の英雄シモン=ボリバル(wikiより)

 1810年〜1833年、イスパノアメリカ独立戦争が勃発。アメリカ植民地が独立を果たした。ナポレオンとの戦争による本国の弱体化が原因であった。

政情不安の時代

 19世紀のスペインは、伝統的な王政か、近代的な自由主義かで振り子のように揺れた。

 しかし、1812年の憲法制定、1820年のスペイン立憲革命、1868年から始まる「民主主義の6年間」などはいずれも失敗した。

 結果、王政は存続した。

フィリピンの独立

開戦原因になった米国軍艦メイン号の爆沈事件(wikiより)

 19世紀末になると、スペイン帝国は完全に崩壊した。アメリカ=スペイン戦争で、フィリピンやキューバを失い、主要な海外領土は消え失せたのである。

 以降、スペインは世界史の表舞台から姿を消すのである。

9、イベリア半島の一国

第一次世界大戦

 第一次世界大戦、スペイン王国は中立を守った。

スペインかぜの患者でごった返すアメリカ軍の野戦病院(wikiより)

 なお、1918年、「スペイン風邪」と呼ばれるインフルエンザがパンデミックを引き起こし、全世界で4000万人が死亡した。

王政打破

 1929年に世界恐慌が起きると、国内は混乱。1931年、アルフォンソ13世が退位。スペイン王国王政が打倒された。

スペイン内戦 〜フランコ独裁へ〜

 スペイン王が退位した後のスペインには、社会主義系の人民戦線内閣が組閣された。

 スペイン軍のフランコ将軍は反旗を翻し、1936年、スペイン内戦へと突入した。軍国主義のナチス=ドイツはフランコを支援。フランコは1939年、マドリードを陥落させた。

『ゲルニカ』ピサソ作

 なお、ピカソはドイツ軍のゲルニカ無差別爆撃をテーマに『ゲルニカ』を制作した。

フランコ独裁

フランコ将軍と夫人(wikiより)

 フランコは中立国として第二次世界大戦を過ごし、冷戦開始後は人民戦線を退けた経緯から西側についた。

 フランコは権威主義体制を維持し、1975年まで独裁を続けた。

現在のスペイン王国へ

フアン・カルロス1世(wikiより)

 フランコの遺言により、1975年、フアン・カルロス1世が国王になった。ブルボン朝の復活である。

 フアン・カルロス1世はヨーロッパの立憲主義国家を模範として民主化を進めた。1977年、憲法を制定され、国王は儀式のみ行う存在となった。結果、権威主義体制は崩壊し、民主化が進んだ。

 2014年からは、フェリペ6世が国王となっている。

 

 

 参考資料

参考資料


世界史図説タペストリー(帝国書院):歴史地図作成で参考

 


高校世界史教科書『世界史B』(実教出版):掲載事項の選定に利用

 


スペイン・ポルトガル史 (山川出版):複雑な政治史には触れられなかったが社会史的な部分を参考にした

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