台湾の歴史まとめ

国々の歴史
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 爆速でわかる台湾の歴史です。

 当サイトでは、「日本政府は台湾の中華民国政府とは断交しているが、中華民国政府が台湾を実効支配している」という立場です。

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1、1500年代以前

わかりやすい台湾の歴史まとめ1
  • 先史時代
    オーストロネシア語族の原住民が居住

     オーストロネシア語族とは、台湾・フィリピン・インドネシア・マダガスカルに存在する語族。

     なぜ、アフリカのマダガスカル?と思われるかもしれないが、5世紀ごろにマダガスカルに行ったらしい。

  • 長い間
    中国からの扱いが軽い時代

     中国は古くから台湾のことは認知していたと主張する。

     逆に言えば、それをわざわざ主張するくらい中国との交渉はなかったということである。

  • 16世紀の明代
    倭寇の拠点となる

     明の時代、明の領土ではなかったが、海賊集団の倭寇の拠点となる。こうして、漢人や日本人が恒久的に居住するようになる。

     ちなみに、この頃は後期倭寇の時代であり、日本人だけでなく漢人が多くいた。イメージが悪くなるので「倭」って使わないでほしいと思う。

  • 大航海時代
    ポルトガル人が発見

     ポルトガル人が発見。緑に覆われた美しい島だと感動した。

  • 1593年
    豊臣秀吉が使者を送る

     当時、台湾に存在すると考えられた高山国に、朝貢するように使者を送った。しかし、高山国は存在せず、使者は失踪した。ちょっと面白い。

  • 1624年
    オランダが領有開始
    ゼーランディア城
    17世紀のゼーランディア城

     オランダ東インド会社がヨーロッパ人として初めて拠点を築いた。その名前はゼーランディア城。中国名は安平城。場所は今の台南付近。安平城は早慶レベルの単語。

     そもそも、オランダがこの地に来た経緯はなんだろうか。それは、中国との貿易拠点を求めて、ポルトガル人が住むマカオを占領しようとして失敗、しょうがなく台湾にきたというわけである。

  • 1626年
    スペイン勢力の参入

     2年遅れて、スペインも基隆に拠点を築いた。しかし、1642年までにオランダ人に追い出された。

  • オランダの台湾経営 

     オランダは台湾に大量の漢人を連れてきてプランテーション経営を始めようとした。台湾先住民族はオランダ人のことを来訪者「Tayouan」といったので、台湾(Taiwan)という名称ができたとも言われる。

2、鄭氏台湾時代

わかりやすい台湾の歴史まとめ2
  • 1644年
    明王朝滅亡

     北方から来たる女真族によって北京の明王朝は滅亡。同じく北京を都に清王朝が建国された。

     それに対して、明の皇族は「南明」として、南部へ逃げ抵抗運動を繰り広げた。彼らのスローガンは「反清復明」。

  • 1662年
    鄭成功の台湾政権樹立
    鄭成功
    鄭成功(wiki)

     その中で、鄭成功はオランダのゼーランディア城を攻略、台湾政権を樹立した。

     鄭成功は台湾を東都とすることで、「反清復明」運動を繰り広げることにする。

     ちなみに、鄭成功は中国人と日本人のハーフで、1715年に日本で近松門左衛門の人形浄瑠璃「国性爺合戦」の主人公のモデルとなる。大河ドラマでやってほしい。

  • 1683年
    鄭氏台湾の滅亡

     鄭氏台湾は23年で滅亡。しかし、台湾を独自に発展させようとした鄭成功は、「開発始祖」と呼ばれ、台湾でかなり評価が高い。

     台湾が親日と言われる原因の一つにこれもあるのだろう。

3、清の時代

台湾の歴史年表3
  • 1683年
    鄭氏台湾を滅ぼす

     清の康熙帝は鄭氏台湾を滅ぼした。その際には「遷界令」を出して、沿岸住民を内陸部に強制移住させて、鄭氏台湾の経済基盤を破壊してから行った。

     ちなみに、康熙帝は中国最高の名君の一人ともされる。満州語・漢語・モンゴル語が喋れ、西洋の天文学が中国の天文学より優れていることを認める柔軟性もあった。

     地位の高い人で賢くかつ柔軟性がある人物というのは貴重と思う。

  • 清の時代の台湾

     清は台湾を皇帝の徳の及ばない「毛外けがいの地」とみなし、本腰を入れて経営に取り組まなかった。

     ただ、漢人が大量に移住を開始。南部から開発を初めて、19世紀には台北に到達した。

     当時の台湾は、荒くれ者がすみ、熱病の流行る地であったという。また、女性の移住が進まなかったので、台湾先住民との混血が進み「台湾人」が誕生した。

  • 1858年
    台南・基隆の開港

     アロー戦争で清王朝が敗北すると、天津条約により、台湾の港が開港させられた。

  • 1871年
    琉球漂流民殺害事件

     遭難した宮古島の漁民が台湾原住民に殺害された。明治政府は清王朝に抗議したが「毛外の民」であり、清王朝とは関係がないとの返答があった。

     このため、日本は、 1874年、台湾に出兵する。ただそれより、清王朝が琉球王国の宮古島島民を日本人と認めたことが歴史的に重要。1879年の琉球処分につながるのである。

     そう考えると、沖縄と台湾の関係は深いものがある。

  • 1885~1895年
    清の台湾省

     1884年の清仏戦争で、フランス軍が台湾を軍事拠点化したことで、清王朝は台湾の軍事的重要性を認識。

     台湾省を設置。台南と基隆の鉄道敷設などの近代化事業を推進した。

     なお、1884年の清仏戦争で、清はベトナムの宗主権を失った。

4、日本の時代

わかりやすい台湾の歴史まとめ4
  • 1894~1895年
    日清戦争

     朝鮮を巡り日清戦争が勃発。清は敗北し、中国は朝鮮の宗主権を失った。そして、日本は台湾を獲得した。

     ちなみに、この10年での朝鮮・ベトナムという伝統的な朝貢国の喪失したことを、清王朝の衰退の例とみなすことは一つの受験テクニックである。

  • 1896年
    台湾総督府の設置
    台湾総督
    台湾総督府(wiki)

     一時、漢人により「台湾民主国」が建国されたが、日本軍によって制圧される。

     こうして、台湾総督府が設置される。ちなみに、この建物は今も中華民国総統府庁舎として使用されている。この総統府は内部に入ることができる。管理人しまうまも、行ったことがある。

  • 後藤新平の上下水道

     後藤新平は台湾総督民生長官に就任すると、上下水道を整えた。それまでは「台湾の水を5日飲むと死ぬ」と言われるほど酷かったと伝わっている。

  • 八田 与一のダム建設

     八田 与一は烏山頭ダムを建設。当時、世界一の規模であった。

     上記の例は、日本の「台湾への貢献」として語られることになる。

  • 1935年
    台湾で地方自治始まる

     大正デモクラシーの運動に伴い、台湾でも自治を求める運動が活発化した。しかし、実現されたのは、戦争の気配が色濃くなった1935年であった。

  • 1945年
    日本の敗戦

     第二次世界大戦を戦った日本はポツダム宣言を受諾。無条件降伏し、軍事行動を停止した。

5、中華民国の時代

わかりやすい台湾の歴史まとめ5
  • 1945年10月17日
    国民党・蒋介石が上陸
    蒋介石
    蒋介石(wiki)

     日本軍の武装解除のため蒋介石の中華民国・国民政府軍が上陸した。

  • 10月25日
    台湾光復

     蒋介石は 日本からの解放「台湾光復」を祝う式典を行った。そして、台湾を中華民国の領土に編入した。

  • 1947年2月28日
    二・ニ八事件

     蒋介石の台湾光復以後、台湾にきた外省人は要職を独占。日本の統治を受けた本省人の不満が反発した。

     闇市でタバコを売っていた女性に本省人警官が暴行を加えたことで、2月28日抗議デモが発生。たちまち、台湾全土に広まった。

     本省人は台湾語や日本語で話しかけ応えられない人を外省人とみなして暴行を加える。国歌として「君が代」を歌って行進した。

     これに対して国民政府は大陸から軍を派遣。鎮圧に乗り出した。日本統治時代の役人・医師・裁判官を次々と逮捕し、多くを殺害した。相当ひどいことが行われたという。

     これで本省人と外省人の対立は血塗られたものになる。

     この時に発せられた戒厳令が1987年まで続き、政府による反政府的人物の弾圧「白色テロ」が行われた。

  • 1949年〜
    台湾中華民国政府

     国共内戦で、大陸で中華人民共和国が成立。蒋介石の中華民国政府は台湾に拠点を移した。

     ちなみに、中華民国政府の正式な首都は今でも南京であり、大陸の領有権を主張している。台湾総督府に行けば、中華民国の地図が見られる。大陸も中華民国の領土として描かれている。

  • 1951年
    サンフランシスコ平和条約

     第二次世界大戦での日本との平和条約。ここで日本は台湾の領有を正式に放棄した。

     公式見解と、実態に解離があることが分かるだろう。同じような話で台湾に行った時、「日本政府の見解ではここは中華人民共和国なのに、ここは中華民国なのだ!」と感動した記憶がある。

  • 1950〜1990年代
    台湾海峡危機

     中華人民共和国は台湾を実効支配しようとした。しかし、アメリカ海軍の第七艦隊によって阻止された。

     アメリカは共産主義の防波堤として台湾を支援した。

  • アジアNIESへ躍進

     ベトナム戦争によってアメリカ軍からの注文が入るようになると、台湾経済は高度成長に突入。アジアNIESに数えられるようになる。

     もともと、日本との関係が強かったが、アメリカとの関係が親密になり、太平洋を跨いだ人的ネットワークが形成された。今台湾のIT大臣のオードリータンもこの流れで生まれた人物である。

  • 1996年
    国民党・李登輝による民主化
    李登輝
    李登輝(wiki)

     国民党主席についた李登輝は「反攻大陸」の看板を下ろして、民主化を進めた。初めての選挙で自身が最初の民選総統に就任した。

     なお、李登輝は京都帝国大学農学部農業経済学科に進学したことがある。

  • 2000年
    民進党・陳水扁による政権交代

     李登輝は2000年の選挙に出馬せず、民進党の陳水扁に政権交代した。

  • 現在
    今の台湾
    台北の夜景
    台北、Photo by Tom Ritson on Unsplash

     民進党は台湾の独自路線派で国民党は統一派であり、両者の対立は致命的な結果をうむ分、政局は常に注目が集まる。

     また、台湾はアジア随一の豊かな地域へと発展したので、魅力的な国になっている。

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