「てれすこーぷ。from 東大」管理人のしまうまです。今回は、アメリカ合衆国の歴史についてです。
アメリカには国家としての歴史は数百年足らずで浅いです。
けれども、だからこそ、中国・インド・アラブといった伝統的な世界の先進地域を、建国100年足らずで抜き去ったことは注目に値します。
ここではアメリカが独立し、工業国となり、世界の超大国になるまでの歴史を振り返っていきたいとおもいます。
1. 先住民のアメリカ時代
- 3万年前新大陸の発見
20万年前にアフリカで生まれた現生人類は、3万年前、アメリカ大陸に到達した。「人類史的な」新大陸の発見である。
アメリカ大陸に広まったのは、白人でも黒人でもなく、黄色人種(モンゴロイド)だった。
- 文明の形成
ミシシッピ文化のカホキア遺跡(wiki) 北アメリカ大陸の文明地域は、現在のメキシコであった。メキシコの古代文明に影響された文化が、北アメリカに形成された。
しかし、これら北アメリカの文化は衰退した。原因は不明である。
2. ヨーロッパによる植民地時代
- 1500年前後ヨーロッパ人による再発見
1453年に東ローマ帝国が滅びると、オスマン帝国が地中海東岸を掌握した。そこで、ヨーロッパ人は独自のインド航路を探しはじめた。
そして、1500年ごろ、アメリカ大陸は「新大陸」として発見された。
- 北米植民地の誕生
イギリスは1606年にヴァージニア植民地が築かれたのを最初に、やがて13の植民地が築いた。
- 1620年ピルグリム・ファーザーズの入植
ピルグリムの上陸(Michele Felice Cornè, 1805年) イギリスで宗教的に迫害されていたピルグリム・ファーザーズがアメリカに訪れた。彼らは今も「自由の国アメリカ」の象徴である。
- 有益なる怠慢(イギリス植民地)
1700年代中盤まで、イギリス本国は「有益なる怠慢」と言われる自由放任主義をとった。結果、アメリカは経済的に発展していった。
二つの独立戦争
- 1763 年フレンチ=インディアン戦争の終結
イギリス本国はフランスの北米植民地(ミシシッピ川流域)を獲得。「有益なる怠慢」政策は改め、植民地経営に乗り出した。
- 1775年〜アメリカ独立戦争
「有益なる怠慢」の方針転換にアメリカ植民地人は怒り、独立戦争が勃発した。
- ニューヨーク陥落
ロングアイランド島の戦い(Domenick D’Andrea) 最初の主要な戦闘であるロングアイランド島の戦いで、ニューヨークは陥落した。
- 1776年7月4日アメリカ独立宣言
アメリカ独立宣言の原案のプレゼン(ジョン・トランブル、1817年作) アメリカ側は人権思想に基づき、独立宣言を発表した。内容は以下の通り。
アメリカ独立宣言の流れ
<独立宣言の発表理由>
全世界の人々に対して真摯に向き合うために、我々は独立の理由を発表せねばならない。
<議論の前提>
まず、我々は
・神によって与えられた不可侵の人権(自然権)
・人権を守るための政府(社会契約説)
・人権を守らない政府の打倒の正統性(革命権)
を信じる。
<イギリス王への反乱の正統性>
もちろん、軽々しく政府にたてつきはしないし、我々は忍耐してきた。しかし、イギリス王(ジョージ3世)の暴虐は甚だしい。18の例を挙げる。
この専制君主は自由な人民の長として不適切である。
<イギリス人民への訴え>
また、イギリス本国の兄弟たちは、再三にわたる訴えを無視してきた。だから、イギリス人民も戦時の敵、平時の友としなくてはいけない。
<独立の宣言>
それゆえに、我々は厳かに宣言する。
我ら連合植民地は、自由で独立した国家である。
我らは、イギリス国王へのあらゆる忠誠の義務から解放されている。
神のご加護のために、我々は、生命、財産、神聖なる名誉をかけて誓う。
『アメリカ独立宣言』、和訳・要約・補足:しまうま - 1783年ヨーロッパの参戦
ヴァージニア岬の海戦(フランスがイギリスを撃破) 同胞アメリカに対するイギリスの戦意は乏しく、大英帝国の切り崩したいヨーロッパ各国はアメリカ側を支持した。
- 1783年アメリカ独立
最終的に、1783年、パリ条約でアメリカ合衆国の独立が達成された。
また、このとき、ミシシッピ川より東の領土も獲得し、アメリカの領土は倍加した。
- 1788年アメリカ合衆国憲法制定
アメリカ合衆国憲法により、連邦政府が樹立された。「州」の力は強く、地方分権的であった。
- 1812年アメリカ=イギリス戦争
イギリスが、米仏貿易を妨害したため、戦争が勃発した。
当時、イギリスはナポレオン率いるフランスと戦争状態であり、フランスの弱体化が狙いだった。
- ワシントン陥落
1814年のホワイトハウス焼き討ち(作:ジョージ・マンガー) 戦争はイギリス軍が優位に進めた。首都ワシントンが陥落したのはこの時が最初で最後である。
- 1814年講和条約
経済的に疲弊した両国は1814年に講和条約を結んだ。
アメリカ=イギリス戦争は第二次アメリカ独立戦争と呼ばれる。戦争中にイギリスからの輸入が途絶えて、産業の自立化が進んだからである。
4. 工業か?農業か?
- 1800年代前半北部と南部の共存
1800年代前半のアメリカには、「工業国」「農業国」の選択肢があった。
黒人奴隷を使役する大農園が栄えた南部は、「農業国」を目指した。一方で、工業が栄えた北部は「工業国」を目指した。
両者は対立したが、政治的な均衡を維持し、共同歩調をとった。
- 西部開拓の進展
西部開拓が進展した。西部は北部陣営と南部陣営に組み込まていくことで、均衡を維持した。
- 1861年アメリカ連合国の分離独立
西部において北部が有利になり、北部出身のリンカーンが大統領になると、南部はアメリカ連合国を建国した。
- 1861年〜南北戦争 〜内戦〜
チカモーガの戦い(北軍が敗れた戦い) リンカーンは独立を認めず、南北戦争が勃発した。南北戦争である。
- 1863年リンカーンの奴隷解放宣言
ヨーロッパ諸国は巨大国家の出現を阻止したいので、南部を支援したいのが本音であった。
そこで、リンカーンは、奴隷解放宣言を発表し、北部の道徳的優位性を訴えた。
- 1865年南北戦争の終結
南北戦争は65万人の死者を出した。しかし、最終的に、アメリカ合衆国軍は、アメリカ連合国軍を撃破し、統一を死守した。
この結果、アメリカは工業国としての道を歩むことが決定した。
5、世界最大の工業国へ
- 1800年代後半第二次産業革命
自由の女神(1886年完成、多くの移民を出迎えた) 南北戦争後、アメリカでは爆発的に工業化が進展した。
結果、1860年から1900年の間に、工業投資額は12倍に、工業生産額は4倍に増大。産業革命発祥の地イギリスから、「世界の工場」の座を奪い取った。
- 1865~1893年金ピカ時代
強い企業に弱い企業が淘汰されていき、巨大企業がうまれた。ロックフェラーのスタンダード石油、カーネギーのUSスティールが市場を支配した。
The Bosses of the Senate by Joseph Keppler(wiki) 上の風刺画は、巨大企業が米国議会に大きな影響力を持っていることを意味している。
激動の社会についていけなかった人々は、この時代を「金ピカ時代」と揶揄した。
- 1990年フロンティアの消滅宣言
1870年代のバイソンの骨の山(wiki) ホームステッド法により、白人は先住民の土地を合法的に奪っていった。
インディアンは土地を奪われ、生活の糧であったバイソンを白人に狩り尽くされた。上の写真は、バイソンの頭の骨の山である。骨は肥料にされた。
最終的に、1890年にフロンティアの消滅が宣言され、アメリカ合衆国全土が白人のものとなった。先住民の人口は1000万人から25万人に激減していた。
- そして海外へ
太平洋分割 西部開拓が完了したアメリカは、海外に目をむけはじめた。
太平洋方面では、スペインからフィリピンを奪い、ハワイを併合した。さらに、カリブ海にも勢力を広げ、1903年パナマ運河の建設が始まった。
「門戸開放宣言」を発し、ヨーロッパ諸国に中国進出の機会を求めた。
6. 世界大戦 〜対ドイツ〜
- 1870年〜ドイツ帝国の躍進
1871年、ヴェルサイユ宮殿でのドイツ帝国成立 1870年代以降、イギリスの工業力を超えた国は、アメリカ合衆国の他にもう一つあった。ドイツ帝国である。
- 1914~1918年第一次世界大戦
1914年、イギリス陣営の連合国と、ドイツ陣営の同盟国の間で第一次世界大戦が勃発した。
アメリカは、1823年のモンロー大統領の演説以来、ヨーロッパに対して中立の立場をとっていた。
アメリカの募兵ポスター(絵の男はアンクル・サム。合衆国政府の擬人化キャラ) しかし、多額の金をイギリス・フランスに貸したのもあり、1917年、アメリカはイギリス側で参戦した。そして、最終的に勝利した。
- 大量生産・大量消費社会の到来
1930年のエンパイア・ステイト・ビル(443m)建設現場 1920年代の世界経済はアメリカの一人勝ちになった。ラジオ・映画・ジャズ・マスメディア・全国規模の広告が生まれた。
かつてない大量生産・大量消費社会が出現したのである。
- 1929年10月24日世界恐慌
ニューヨークのウォール街で株価が大暴落した。
1935年活気の戻り始めたNY アメリカは、ケインズ経済学にもとづき、政府が積極的に公共投資を進め、経済を復活させるニューディール政策を実行した。
一方で、600万人もの失業者を出したドイツでは、1933年、ヒトラーが政権を獲得。1935年に完全雇用を実現した。
7. 冷戦 〜対ソ連〜
- 1945年2月ヤルタ会談
連合国アメリカとソ連を中心に戦後国際秩序が議論された。このときから、資本主義国アメリカと共産主義国のソ連の対立が始まった。
- 冷戦
アメリカとソ連は直接的な軍事衝突をせずに、対立状態が続いたので「冷戦」と呼ぶ。
- 1989年マルタ会談
体制が疲弊したソ連が自由化を進めたため、米ソ対立が緩和し、「冷戦の終結」が宣言された。
- 1991年ソヴィエト社会主義共和国連邦の解体
ソ連内のロシア共和国、ウクライナ共和国、ベラルーシ共和国が離脱を宣言。12月26日、ソ連最高会議が「ソ連の消滅」を宣言した。
8. 超大国アメリカとアジア
- 2001年対テロ戦争
唯一の超大国になったアメリカは、中東の石油地帯への干渉を強め、ユダヤ人国家イスラエルを支援した。これが、イスラーム教徒の反感を買った。
世界貿易センタービルに175便が突っ込んだ直後 そして、2001年9月11日、同時多発テロが発生した。テロリストが、ユナイデット航空175便をハイジャックし、ニューヨークの貿易センタービルに突っ込んだ。
以降、アメリカは「対テロ戦争」を宣言。イスラーム世界の武装勢力の掃討に乗り出した。
しかし、戦争は拡大する一方で終結せず、国際的威信は揺らいだ。
- 現在対中国
1990年代に社会主義市場経済をうちだし、年率10%の経済成長と遂げた中国が急速に国力を増大させた。
上海(Photo by Adi Constantin) 中国は、豊富な労働力のために世界一の工業国へと躍進。2010年には、世界第2位の経済大国へかけあがった。
現在のアメリカは、中国という新しい覇権国家の出現に直面している。
現在のニューヨーク(Photo by Andre Benz)