アメリカの歴史まとめ/世界最大の新興国【受験世界史の地図】

西洋史

0. アメリカの歴史まとめ

 アメリカ大陸には先住民が文明を築いていた。しかし、ヨーロッパが侵入を始めると征服された。

 アメリカ大陸東岸にあったイギリス植民地が、1774年に独立宣言を発し独立。徐々に西部開拓を進め、領土を北米大陸中部に広げた。

 アメリカ合衆国には、工業国と農業国の選択肢が存在したが、南北戦争で北部が勝利したことで工業国の道を爆進した。

 こうして、1900年ごろ、建国から100年程度の新興国アメリカ合衆国は、世界最大の経済規模を誇るようになった。

 そして、アメリカ合衆国は、国際政治で覇権国家として振る舞うようになった。

1. 人類のアメリカ到達

3万年前:新大陸の発見

人類のアメリカ進出(アメリカの歴史)

 20万年前にアフリカで生まれた現生人類は、3万年前、アメリカ大陸に到達した。「人類史的な」新大陸の発見である。

 アメリカ大陸に広まったのは、白人でも黒人でもなく、黄色人種(モンゴロイド)だった。

文明の形成

ミシシッピ文化のカホキア遺跡(アメリカの歴史)
ミシシッピ文化のカホキア遺跡(wiki)

 北アメリカ大陸の文明地域は、現在のメキシコであった。メキシコの古代文明に影響された文化が、北アメリカに形成された。

 しかし、これら北アメリカの文化は衰退した。原因は不明である。

2. ヨーロッパによる植民地時代

1500年前後:アメリカ大陸の再発見

 ユーラシア極西に位置するヨーロッパは、地中海東岸を通じてユーラシアの文明国と交流していた。

オスマン帝国と大航海時代(アメリカの歴史)

 しかし、1453年にギリシアに残っていたローマ帝国の末裔が滅びると、異教徒が地中海東岸を掌握した。

 そこで、ヨーロッパ人は「新航路」を探しはじめた。大航海時代の始まりである。こうして、1500年ごろ、アメリカ大陸は「新大陸」として再発見されたのである。

1606年:イギリスの北米植民地

北米植民地(アメリカの歴史)

 アメリカに入植したヨーロッパ諸国の中にイギリスがいた。1606年にヴァージニア植民地が築かれたのを最初に、やがて13の植民地が築かれた。 

ピルグリムの上陸(アメリカの歴史)
ピルグリムの上陸(Michele Felice Cornè, 1805年)

 特に有名なのは、1620年にピルグリム・ファーザーズの入植である。宗教的に迫害されていたピルグリム・ファーザーズは、「自由の国アメリカ」の象徴となっている。

 1700年代中盤まで、イギリス本国は「有益なる怠慢」と言われる自由放任主義であり、経済的にも発展していった。

3. 二つの独立戦争

アメリカ独立戦争 〜政治的な自立〜

1775年:開戦

 1763年、イギリス本国はフランスからミシシッピ川流域を奪った。イギリスは、植民地経営のために税金を増大させようとした。

 「有益なる怠慢」に慣れていたアメリカ植民地人は、イギリス本国と対立。そして、1775年、まずイギリス軍が動き、それに対して大陸軍が創設。

 武力衝突に至り、アメリカ独立戦争が勃発した。

アメリカ独立戦争 ロングアイランドの戦い(アメリカの歴史)
ロングアイランド島の戦い(Domenick D’Andrea)

 上の絵は、大陸軍とイギリス軍の最初の主要な戦闘であるロングアイランド島の戦い。ワシントン率いる大陸軍は、イギリス軍に破れ、ニューヨークは陥落した。

1776年:独立宣言

アメリカ独立宣言(アメリカの歴史)
アメリカ独立宣言の原案のプレゼン(ジョン・トランブル、1817年作)

 大陸会議は大義名分を打ち立てた。1776年7月4日、アメリカ独立宣言の発表である。独立宣言は次のように論理を展開した。

アメリカ独立宣言の流れ

<独立宣言の発表理由>

 全世界の人々に対して真摯に向き合うために、我々は独立の理由を発表せねばならない。

<議論の前提>

 まず、我々は

・神によって与えられた不可侵の人権(自然権)

・人権を守るための政府(社会契約説)

・人権を守らない政府の打倒の正統性(革命権)

を信じる。

<イギリス王への反乱の正統性>

 もちろん、軽々しく政府にたてつきはしないし、我々は忍耐してきた。しかし、イギリス王(ジョージ3世)の暴虐は甚だしい。18の例を挙げる。

 この専制君主は自由な人民の長として不適切である。

<イギリス人民への訴え>

 また、イギリス本国の兄弟たちは、再三にわたる訴えを無視してきた。だから、イギリス人民も戦時の敵、平時の友としなくてはいけない。

<独立の宣言>

 それゆえに、我々は厳かに宣言する。

 我ら連合植民地は、自由で独立した国家である。

 我らは、イギリス国王へのあらゆる忠誠の義務から解放されている。

 神のご加護のために、我々は、生命、財産、神聖なる名誉をかけて誓う。

『アメリカ独立宣言』、和訳・要約・補足:しまうま

1783年:独立戦争の勝利

ヴァージニア岬の海戦(アメリカの歴史)
ヴァージニア岬の海戦(フランスがイギリスを撃破)

 同胞アメリカに対するイギリスの戦意は乏しく、大英帝国の切り崩したいヨーロッパ各国はアメリカ側を支持した。

 最終的に、1783年、パリ条約でアメリカ合衆国の独立が達成された。

 また、このとき、ミシシッピ川より東の領土も獲得し、アメリカの領土は倍加した。

1788年:連邦政府の樹立

アメリカ合衆国の成立時の地図(アメリカの歴史)

 1781年、アメリカ連合規約によって、アメリカ合衆国が成立。1788年、アメリカ合衆国憲法により、連邦政府が樹立された。

 一方で、「州」の力は強く、地方分権的であった。ユナイデット・ステイツ・オブ・アメリカとは、「アメリカ大陸の連合している州の一群」の意味である。

第二次アメリカ独立戦争 〜経済的な独立〜

1789年:フランス革命

 人権を謳い革命権を主張したアメリカ独立宣言は、ヨーロッパでのフランス革命(1789年)を導いた。

 革命を成し遂げたフランスは、人民軍を創設し、ヨーロッパ大陸を蹂躙した。こうして、フランスはイギリスと戦端を開いたのである。 

1812年:アメリカ=イギリス戦争

 ナポレオン率いるフランスとの貿易をイギリスが妨害したため、1812年、アメリカ=イギリス戦争が勃発した。

米英戦争のホワイトハウス焼き討ち(アメリカの歴史)
1814年のホワイトハウス焼き討ち(作:ジョージ・マンガー)

 戦争はイギリス軍が優位に進めた。首都ワシントンが陥落したのはこの時が最初で最後である。

 しかし、経済的に疲弊した両国は1814年に講和条約を結んだ。 

経済的な自立

 アメリカ=イギリス戦争は第二次アメリカ独立戦争と呼ばれる。戦争中にイギリスからの輸入が途絶えて、産業の自立化が進んだからである。

 とはいえ、1820年代のアメリカのGDPは江戸期の日本の6割程度だった。(マディソン『世界経済2000年史』)

4. 工業か?農業か?

19世紀前半:北部と南部の共存

北部と南部と西部(アメリカの歴史)

 1800年代前半のアメリカには、「工業国」「農業国」の選択肢があった。

 黒人奴隷を使役する大農園が栄えた南部は、「農業国」を目指した。一方で、工業が栄えた北部は「工業国」を目指した。

 両者は対立したが、政治的な均衡を維持し、共同歩調をとっていった。

19世紀前半:西部の拡大

 一方で、アメリカには第3の地域が生まれつつあった。西部である。

場所取引相手方法
1783年ルイジアナ東部イギリスアメリカ独立戦争に勝利
1803年ルイジアナ西部フランスナポレオンから1500万ドルで買収
1819年フロリダスペイン500万ドルで買収
1845年テキサステキサス共和国メキシコから独立した共和国を併合
1848年オレゴンイギリス交渉の末、併合
1848年カリフォルニアメキシコアメリカ=メキシコ戦争に勝利
(1861~65年)(南北戦争)
1867年アラスカロシアアレクサンドル2世から720万ドルで買収
(1869年)(大陸横断鉄道の完成)

 先住民の地を植民地化したのち、白人によって西部開拓をし、アメリカ合衆国の「州」にくみこむという流れがとられた。

 西部は、自由州(北部陣営)と、奴隷州(南部陣営)にうまく振り分けられていった。

1861年:アメリカ連合国の独立

 しかし、1854年、西部で自由州が優位になった。さらに、1860年、自由州のリンカーンが大統領に選出された。

 こうして、北部と南部の均衡は西部で崩れ、南北対立が激化する。

 結果、1861年、奴隷制を維持したい南部はアメリカ合衆国から離脱し、アメリカ連合国を建国した。

1861年:南北戦争 〜内戦〜

アメリカ連合国(アメリカの歴史)

 リンカーンは独立を認めず、1861年、内戦が勃発した。南北戦争である。

 ヨーロッパ諸国はアメリカ大陸における巨大国家の出現を阻止したいので、南部を支援したいのが本音であった。

 そこで、リンカーンは1863年、奴隷解放宣言を発表し、北部の道徳的優位性を確立する。

チカモーガの戦い(北軍が敗れた戦い)

 南北戦争は65万人の死者を出した。しかし、最終的に、アメリカ合衆国軍は、アメリカ連合国軍を撃破し、統一を死守した。この結果、アメリカは工業国としての道を歩むことが決定するのである。

5. 世界最大の工業国

19世紀後半:第二次産業革命

 南北戦争後、アメリカでは爆発的に工業化が進展した。第二次産業革命である。機械のイノベーション、豊富な移民労働者の流入、鉄道による国内市場の拡大が同時に進行した。

 南北戦争に勝利した北部の連邦政府は、アメリカ製品を外国製品から保護した。

 結果、1860年から1900年の間に、工業投資額は12倍に、工業生産額は4倍に増大。産業革命発祥の地イギリスから、「世界の工場」の座を奪い取った。

自由の女神(1886年完成、多くの移民を出迎えた)

 つまり、建国からわずか100年の新興国が、数千年もの歴史をもつ中国・インド・オリエントの古代からの国家を抑え、世界最大の文明国へと躍進したのである。

19世紀後半:金ぴか時代

 イノベーションは長期的にみて、価格競争につながり、利益率は減っていった。その中でも、野心的な企業家たちは激しい競争をくりひろげた。

 結果、強い企業に弱い企業が淘汰されていき、巨大企業がうまれた。ロックフェラーのスタンダード石油、カーネギーのUSスティールが市場を支配した。

The Bosses of the Senate by Joseph Keppler(wiki)

 上の風刺画は、巨大企業が米国議会に大きな影響力を持っていることを意味している。

 激動の社会についていけなかった人々は、この時代を「金ピカ時代」と揶揄した。

西部開拓の終わり

 爆発的な工業化の裏で、西部開拓は着々と進んでいった。南北戦争時代に発布されたホームステッド法により、白人は先住民の土地を合法的に奪っていった。

1870年代のバイソンの骨の山(アメリカの歴史)
1870年代のバイソンの骨の山(wiki)

 インディアンは土地を奪われ、生活の糧であったバイソンを白人に狩り尽くされた。上の写真は、バイソンの頭の骨の山である。骨は肥料にされた。

 最終的に、1890年にフロンティアの消滅が宣言され、アメリカ合衆国全土が白人のものとなった。先住民の人口は1000万人から25万人に激減していた。

海外進出の開始

太平洋分割(アメリカの歴史)
太平洋分割

 西部開拓が完了したアメリカは、海外に目をむけはじめた。

 太平洋方面では、スペインからフィリピンを奪い、ハワイを併合した。さらに、カリブ海にも勢力を広げ、1903年パナマ運河の建設が始まった。

 「門戸開放宣言」を発し、ヨーロッパ諸国に中国進出の機会を求めた。

6. 世界大戦 〜対ドイツ〜

ドイツの躍進

1871年、ヴェルサイユ宮殿でのドイツ帝国成立

 1870年代以降、イギリスの工業力を超えた国は、アメリカ合衆国の他にもう一つあった。ドイツ帝国である。

 しかし、アメリカとドイツには決定的に違う点があった。アメリカ合衆国は、大陸西部・太平洋・カリブ海といった新天地が待ち構えていた。そして、太平洋と大西洋という最強の軍事的防壁をもっていた。

 一方で、ドイツ帝国は、西にフランス共和国・東にロシア帝国・南にオーストリア=ハンガリー帝国・海にはイギリス海軍があった。

 帝国主義時代におけるドイツの躍進は、すなわちヨーロッパ大陸での戦争を意味した。

第一次世界大戦

 1914年、イギリス陣営の連合国と、ドイツ陣営の同盟国の間で第一次世界大戦が勃発した。

 アメリカは、1823年のモンロー大統領の演説以来、ヨーロッパに対して中立の立場をとっていた。

アメリカの募兵ポスター(絵の男はアンクル・サム。合衆国政府の擬人化キャラ)

 しかし、多額の金をイギリス・フランスに貸したのもあり、1917年、アメリカはイギリス側で参戦した。そして、最終的に勝利した。

大量生産・大量消費社会

1930年のエンパイア・ステイト・ビル(443m)建設現場

 戦火に焼かれたヨーロッパは「西洋の没落」といわれる一方で、1920年代の世界経済はアメリカの一人勝ちになった。

 ラジオや映画が生まれ、大都市の文化が瞬時に全国に波及した。ジャズも流行った。マスメディアが生まれると同時に、広告が全国の人々に同一の商品を売り込んだ。

 かつてない大量生産・大量消費社会が出現したのである。

世界恐慌

 しかし、過剰生産と過剰投資ははじけた。1929年10月24日、ニューヨークのウォール街で株価が大暴落した。世界恐慌である。

1935年活気の戻り始めたNY

 アメリカは、ケインズ経済学にもとづき、政府が積極的に公共投資を進め、経済を復活させるニューディール政策を実行した。

 一方で、600万人もの失業者を出したドイツでは、1933年、ヒトラーが政権を獲得。1935年に完全雇用を実現した。

第二次世界大戦

 1939年、ヒトラー率いるドイツは、新しい土地をもとめて、第二次世界大戦を開戦した。今回も、アメリカは中立の立場をとった。

 しかし、日本軍がハワイ真珠湾を攻撃すると、ドイツもアメリカに宣戦布告。アメリカも第二次世界大戦に参戦することになった。

1945年8月6日、広島への原爆投下

 ノルマンディー上陸作戦で西ヨーロッパを解放し、日本に原子爆弾を投下した。

 結果、ドイツは1990年まで、西ドイツと東ドイツの分断国家となり、牙を抜かれることになる。

 この第一次世界大戦と第二次世界大戦をあわせて、米独30年戦争という。戦争はアメリカの勝利に終わった。

7. 冷戦 〜対ソ連〜

超大国・ソ連の登場

 ドイツの影で次の覇権国家が生まれつつあった。ロシア帝国を打倒して成立したソ連である。

 ソ連のイデオロギーは社会主義で、平等な社会の建設を目指した。平等な社会では、労働者による合理的な社会運営が期待された。

 結果、計画経済を強力におしすすめ、驚異的な経済成長をとげた。世界恐慌で欧米各国が不況に陥る中、まったく影響を受けなかった。

 さらに、3000万人の犠牲をうみつつ、第二次世界大戦で連合国を勝利に導き、国際的威信を大きく高揚させた。

 そして、アメリカに並ぶ「超大国」と称されるまでに成長したのである。

冷戦の開始

1943年、左からスターリン(ソ連)、ルーズベルト(米国)、チャーチル(英国)

 戦後、世界はアメリカの資本主義陣営と、ソ連の共産主義陣営に二分された。

 しかし、アメリカとソ連は、破滅的な破壊力をもつ核兵器を保有していたので、戦争をせず、あくまで外交上の対立に終始した。

 今は平和だが、いったん崩れれば核戦争が勃発する米ソ対立を、冷戦という。

戦後20年の繁栄

 アメリカは、資本主義陣営の旗手となり、安定的な経済成長をとげた。1945年から1960年にかけて経済規模は2.5倍に増大した。

 工業からサービス業への移行がみられ、中産階級の自動車・住宅への需要が経済を支えた。

ベトナム戦争

 1965年からベトナム戦争にアメリカが介入すると、泥沼化した。さらに、テレビがベトナム戦争の悲惨な映像を放送すると、反戦運動がもりあがった。

黒人のために立ち上がったキング牧師(左)とマルコムX(右)

 この時に、黒人の公民権運動、女性のニュー・フェニミズム運動が盛り上がった。

 さらに、若者は既存の文化観念を否定し、カウンター=カルチャーを作った。政治派は学園闘争を展開し、ドラッグ派は学校と職場を放棄し、ロックにハマり、ドラッグとセックスを日常生活にとりいれた。

冷戦の終結

 ソ連は共産主義陣営で強権を誇ったが、中国・共産党と対立、徐々に指導力を失っていった。

 そして、1989年にアメリカとソ連はマルタ宣言で「冷戦の終結」を宣言。さらに、1991年にソ連の解体された。

 米ソの覇権争いは、アメリカの勝利で終わったのである。

8. 超大国アメリカとアジア

対イスラーム・ゲリラ

 唯一の超大国になったアメリカは、中東の石油地帯への干渉を強め、ユダヤ人国家イスラエルを支援した。これが、イスラーム教徒の反感を買った。

世界同時多発テロ(アメリカの歴史)
世界貿易センタービルに175便が突っ込んだ直後

 そして、2001年9月11日、同時多発テロが発生した。テロリストが、ユナイデット航空175便をハイジャックし、ニューヨークの貿易センタービルに突っ込んだ。

 以降、アメリカは「対テロ戦争」を宣言。イスラーム世界の武装勢力の掃討に乗り出した。

 しかし、戦争は拡大する一方で終結せず、国際的威信は揺らいだ。

対中国・経済大国

 さらに、1990年代に社会主義市場経済をうちだし、年率10%の経済成長と遂げた中国が急速に国力を増大させた。

上海(Photo by Adi Constantin)

 中国は、豊富な労働力のために世界一の工業国へと躍進。2010年には、世界第2位の経済大国へかけあがった。

 現在のアメリカは、中国という新しい覇権国家の出現に直面しているのである。

現在のニューヨーク(Photo by Andre Benz)

 ただし、これは長い目で見れば、18世紀の産業革命以来、欧米がもっていた世界的な覇権の後退の過程にすぎないのかもしれない。

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