わかりやすい中国の歴史まとめ/ 年表と地図でばっちり

東洋史

 高校世界史は時代ごとに各地域を旅していくので、中国史の全体像は見えにくいです。

 そこで、4000年の歴史をもつ中国史を、高校世界史の範囲でわかりやすくまとめました。

 年表と地図を中心にしたので、中国史の流れがばっちりわかります。

 この記事の内容は、YouTube「女の子と一緒に中国史まとめてみた」で解説しました。内容はブログ+アルファです。よろしければチャンネル登録と高評価お願いします!

1、古代中国

1万8000年前:天地開闢

 最初は、神話からいきましょう。

 中国では世界の始まりを、天地開闢と言います。くっついていた天地を盤古という神が頑張って離して、世界が生まれました。

?:夏

 伝説によると、最初の人間の国は夏といいます。日本の教科書には、実在は確認されていないとあります。

 中国政府は存在を主張していて、これが認められれば中国の歴史は5000年となります。

前17~前11世紀:殷

 実在が認められる最初の王朝は、殷です。都の遺跡である殷墟が存在します。

 黄河の東側に位置し、東西南北の外国人を東夷・西戎・北狄・南蛮と呼称しました。どれも野蛮人の意味です。日本史でも東夷と南蛮はでてきますね。

前11〜前8世紀:周

 次の王朝は、周です。黄河が大きく蛇行している中にある鎬京を都にしました。

 周は王朝は、武力によって殷を倒して成立しました。王朝正当化のために「悪い政治をした王朝は天から見放されるので、武力で倒すのもあり(放伐)」という考え方を作りました。

前770〜前221年:春秋・戦国時代

 周は前770年、西の民族による攻撃にさらされて、鎬京を捨て、洛邑に遷都しました。

 このころから周の勢力は弱まり、多くの強大な諸国が誕生しました。前770前から前221年を春秋・戦国時代と言います。

 しかし、熾烈な国家競争の中で製鉄・農業・国土の発展が見られました。

 混乱の中で孔子や孫子といった思想家たち(諸子百家)が生まれたのもこの時代です。

 漫画「キングダム」は戦国時代末期を舞台にしています。

中国の歴史 戦国時代 地図
戦国の七雄の地図

2、秦・漢

前221〜前206年:秦(天下統一)

 数百年の乱世を終わらせたのは、西の大国・秦でした。秦は中国大陸を統一し、現代の中国につながる礎を築きました。

 秦王である政は、始皇帝を名乗りました。 ここから1900年代初頭まで続く、皇帝政治が始まります。

 ただ、急激な改革に社会混乱し、秦はすぐに滅びました。

中国の歴史 秦 地図

前206〜後220年:漢

 実質的に、中国のアイデンティティを築いた国は、次の漢でした。漢字の「漢」です。

 もともとは農民が作った国ですが、400年の支配の中で、「中国」の範囲が形作られました。

 また、皇帝を頂点とし、巨大な官僚機構と儒教を使った中国統治の定番スタイルも確立しました。

 下の地図は紀元150年ごろです。ヨーロッパにはローマ帝国が見えますね。

 なお、前漢と後漢の間に猛烈な混乱期がありました。10年ほどで6000万人いた人口が半減する人口崩壊が起きたとされます。

3、魏晋南北朝・隋・唐

222年〜263年:三国時代

 漢も永遠ではありません。220年漢は終わりを迎え、乱世がはじまりました。曹操・劉備・孫権が争う三国時代です。

 三国志や、映画『レッドクリフ』はこの時代が舞台です。

 

中国の歴史 三国志 地図

265〜420年:晋

 三国時代を収めたのは、魏・呉・蜀のどれでしょうか?

 実は、どれも不正解です。

 正解は、魏皇帝から帝位をうばった司馬氏の晋です。

 久しぶりの天下統一となりますが、内乱と北方民族が侵入で弱体化し、南に逃れます。

 この南に逃れた晋を東晋といいます。

439〜589年:南北朝時代

 439〜589年を南北朝時代といいます。南部と北部で様相が異なります。

 南部は東晋や宋などにより比較的安定していました。

 北部は、はじめ漢民族と北方民族で抗争しており、分裂状態でした。439年、北魏により北部が統一されました。

 以後しばらく、北朝と南朝が並立することになりました。

589〜618年:隋

 100年ぶりの天下統一は、隋によって成し遂げられました。589年のことです。

 このころからやっと日本史も本格稼働してきます。聖徳太子が遣隋使を送り、中国を「日の没する処」扱いしたことで有名です。

 しかし、高句麗遠征や大運河建設で人心を失い、短命に終わります。

618〜907年:唐

 次に建国された唐は300年もの間、中国に統一をもたらしました。

 シルクロードをつかった内陸交易や、東南アジア経由の海洋貿易が盛んで、国際色豊かな帝国でした。

 日本の大化の改新も、唐の政治体制を模範にしていました。

 地図を見ると、西の方にアッバース朝(750年建国)が見え、接しています。実は、751年に戦っています。このときに、中国人技師が捕縛され、紙の製造法が西へ伝わりました。

4、五代十国・宋

907〜960年:五代十国時代

 唐が滅びると再び分裂の時代が訪れます。

 ここで、社会構造における重要な変化が起こります。戦乱による貴族の没落です。

 結果、漢や唐で、皇帝に対抗する力をもっていた政治勢力は一掃されたのです。

960〜1279年:宋

 宋が建国され、中国を統一します。

 貴族がいないので皇帝は絶対的な権力を持ち、テストによって選抜された官僚制が確立しました。

 経済は大発展し、都の開封は不夜城となりました。

 しかし、致命的な弱点がありました。軍隊が弱かったのです。北方民族に「攻めないで」とお金を払っていました。

中国の歴史 宋 地図

1271〜1368年:元

 ユーラシア中央で猛烈に勢力を広げる部族がいました。モンゴルです。

 ヨーロッパとインドを除くユーラシア全土を支配したモンゴルは、中国も征服しました。漢民族目線で、異民族の支配には屈した形になります。

 一方で、ユーラシア大陸に政治的統一が生まれ、貿易が活性化したという面もあります。

 この時代は第一次大交易時代と呼ばれ、西洋中心史観における大航海時代の対抗馬と目されています。

 強大な軍事力を誇っていたモンゴルですが、農業国家の経営は難航し、やがて中国支配を放棄しました。中国支配を放棄して北へ移動したモンゴルを、北元といいます。

5、明・清

1368〜1644年:明

 1368年、明が成立します。明の特徴は、農業重視政策です。

 農業自体である長江流域に都をおいたはじめての帝国でもあります。

 この都を南京といいます。

 農業重視のために、商業には圧力がかけられ、貿易は制限され第一次大交易時代は終焉を迎えます。この制限貿易は、海賊である倭寇を助長しました。

 なお、帝位を簒奪した永楽帝は南京に居心地の悪さを感じ、1421年に北京に遷都としました。以後、中国の首都は基本的に北京となります。

 比較的長く続いた明ですが、北方民族の侵攻と倭寇の襲来に苦しみました。これを北虜南倭といいます。

 また、豊臣秀吉の朝鮮出兵に、対日の友軍を派遣したこともあり、疲弊しました。

中国の歴史 明 地図

1644〜1912年:清

 明は農民反乱に倒れ、その隙に満州族が北京を占領。

 最後の帝国である清を築きました。

 満州族は少数民族にもかかわらず、アメとムチを使い分けて、中国統治を着実に実行しました。

 1700年代前後は優秀な皇帝が連続し、治世は安定しました。200年で、はじめ5000万の人口は4億へと急成長を遂げました。

 一方で、ヨーロッパでは科学革命と産業革命が起きていました。イギリスは自由貿易を求めますが、交渉は決裂し、1840年のアヘン戦争につながります。

 その後、1884年清仏戦争(フランス)、1894年日清戦争(日本)と敗戦に次ぐ敗戦で疲弊していきました。

 中国は、1300年続いた科挙の廃止、憲法草案の作成などの改革に乗り出しますが、時間切れ。

 孫文の辛亥革命で1912年に滅びました。

 こうして、前221年より2000年続く皇帝による統治は終焉を迎えました。

17世紀のアジア

6、近代中国

1912〜1950年:中華民国

 孫文が辛亥革命を起こし、清を打倒しました。こうして、新しくできた近代国家が中華民国でした。しかし、革命家の孫文には有力者を治めることができず、国は分裂しました。

 その隙に、1931年、日本は、清朝最後の皇帝を据えた満州国を建国し、大陸への進出を強めました。

 1937年からは日中戦争へと発展し、抗日の時代を迎えます。

1949年〜:中華人民共和国

 1945年に日中戦争が終結します。

 共通の敵としての日本を失った国民党と共産党は争い、中国内戦となります。

 結果、国民党は台湾に逃れ中華民国として生き残る一方で、共産党は1949年に建国宣言し実質的に中国を再統一します。

 共産主義の中国は経済的には停滞しました。

 しかし、1978年の改革開放で市場経済を導入すると、経済成長を開始。

 現在は世界第2位の経済大国となり、経済的にも軍事的にも科学研究の分野においても、非常に強い国へと成長を遂げました。

上海

>おすすめ書籍<

東洋史
↓SNS共有はこちらから↓
カテゴリー
アーカイブ
しまうま経済学研究所